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連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その1

=== 案内板より ===
菅原神社由緒書
~前略~
創建
北条執権時代の元応元(1319)年、当地は旱魃(かんばつ)による被害が大きく、
五穀は実らず農民が困苦したため、北野天満宮に祈願したところ、
たちまち雷雨が発生し五穀が蘇ったので、これを喜んだ里正の飯島氏が
北野天満宮の分霊を奉還し、「天神社」の名称で創建したのが
始まりと伝えられています。

連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その2 連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その3
(写真はクリックで拡大します。)

天文20(1551)年からは、光福寺(現在の連取会議所が跡地)が別当となり、
天正19(1591)年に徳川氏の旗本駒井氏が連取村に入封すると当社を篤く崇敬し、
また伊勢崎藩主酒井忠強(ただつよ)公が嘉永7(1854)年にお国入りの際には、
当社を参詣したことなどが記録に残されています。

享保13(1728)年には正一位天満宮となり、嘉永4(1851)年には
現在の社殿(本殿・幣殿・拝殿)が、森村・北爪・原田家が世話人となり
当地の氏子たちによって建立されました。


連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その4

明治維新となり旧制度の改革が行われるようになると、
当社も明治7(1874)年に宮郷村の村社となり、
さらに新政府の方針により神社の統廃合が実施されると、
明治40(1907)年10月9日には当社の境内末社であった妙義社・
八幡社・飯玉社・三峰社と、字中屋敷の飯玉神社および末社4社、
林根の白山神社および末社3社を合祀することになり、
「菅原神社」して統合されました。
云々。。。


なかなかの古い神社さんですが、明確な由緒が残されています。
それにしてもスゴイのがこちらの松!
鳥居から拝殿に至るまでを覆い、
腰をかがめて行かないと通ることが出来ませんっ(汗、、、


連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その5 連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その6

おおーっ。


連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その7

これが「連取の松 つなとりのまつ」であります!
すげー。


連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その8

連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その9

=== リーフレットより ===
連取の松
菅笠のような形をした「連取の松」は、地元の人たちから親しみを込めて
「笠松」、あるいは菅原神社境内にあることから
「天神松」とも呼ばれています。

このマツは、江戸時代の享保2年(1717)、連取村を支配した
旗本駒井氏の家臣にかわって村を治めた飯島一党が、
隣村の韮塚村の諏訪の原にあったものを天満宮の社前に植え替えたものです。
このように来歴がはっきりとした植物はそう多くはありません。


連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その10

植え替えから92年を経過した文化5年(1808)には、
既に名所として知られていたのか、伊勢崎藩士の鈴木松山宜周がその姿を描き、
版画として頒布しました。その版画には、高さ1丈余、
太さ8尺余、枝張り25、6間四方ある「老之松」と書かれています。

明治2年(1869)の『連取村明細帳』にも
「幹高一丈余、同径一丈余、偃蓋(えんがい)二十五間四面」と記録されています。


連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その13

一丈は10尺ですから、江戸時代後期から明治はじめには、樹高3m以上、
目通り周2.4m余り、枝張りは45.6m四方もあった大きな松のようです。
「老之松」として俳諧や和歌にも詠われており、この村の今村岨雲(そうん)を
初代館主とする、戦前まで継承された俳諧結社は
「老松館・ろうしょうかん」を名乗りました。
云々。。。

連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その11 連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その12 連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その14

たくさんの境内社と石碑等。


連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その15

大きな神社さんではありませんでしたが、
松は巨大でした(汗、、、

ナニゲに良いものを拝見できた日であります。
ウムム。。。


連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]その16



以前の記事はこちらから。
火の見櫓と釈迦如来像。 [伊勢崎市*菅原神社]

【菅原神社】
@群馬県伊勢崎市連取町


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