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雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その1

いくつにも重なる白い鳥居。
特別予定をしていたわけではなかったのですが、
なんとなく気になって。。。


雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その2

大国神社」の帰りに立ち寄りました♪
伊勢崎市の「雷電神社」です。
雷電様の主祭神は大雷命(おおいかずちのみこと)。

雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その3 雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その4

2対の「狛犬」クンがいらっしゃいます。
手前にはとても年季の入ったもの。

雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その5 雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その6
(写真はクリックで拡大します。)

奥は比較的新しいタイプ。
そして「神楽殿」。


雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その7 雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その9 雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その13

「拝殿」と、その中にいらっしゃった雷神様の像。
そして拝殿と本殿をつなぐ「幣殿」。


雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その8

「本殿」。

こちらの神社さんは古墳の上に建てられています。


雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その10

=== 案内板より ===
雷電神社古墳
雷電神社古墳は伊与久地区の北方に位置し粕川と早川の支流である
中堀に挟まれた低台地上に築造された古墳であり、
本古墳北側には十三宝塚遺跡が広がる。
「上毛古墳綜覧」によれば、本古墳の周辺には多数の古墳があったとされるが、
現在では殆ど消滅している。
従って伊与久地区の古墳を知る上で貴重な古墳である。


雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その12

本古墳の形態は主軸を東西にとり、前方部を東に向ける
全長約50メートル程の前方後円墳と考えられる。

現在ではくびれ部なども明確ではない程に削平・変形されてしまっているが、
西側には後円部の名残りがわずかに認められる。

遺骸を葬った主体部は南に開口する両袖型横穴式石室であり、
現在の神社本殿の真下あたりと考えられる。
云々。。。


雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その14 雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その15 雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その16

===
雷電神社
【御開帳】
60年に一度行われる大祭で、以前は40年に一度御神体を親しく
信者に拝観させる祭事である。
大祭は正月と4月に行うが、御開帳は正月25日より数日間行うのを例とした。
この日に備えて、各地区総出で趣向を凝らした飾りものを準備する。
ちなみに大正15年1月25日より2月3日までの10日間執行された御開帳では、
飾りものを納めた小屋の間口10軒、奥行7軒、高さ5丈5尺の
巨大な竜虎が人の目を奪ったと伝えられている。


雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その17

由緒
当社は順徳天皇の建保6年(1215)3月25日に、
赤石城主(伊勢崎)三浦之介義澄が創建したと伝えられる。
上野国神名帳に「従四位上高於神明神」と記されるのが当社である。

後醍醐天皇の元弘3年(1333)3月、新田三衛門佐義貞が
鎌倉追討の際に社殿を修理し、戦勝祈願祭を行った。
正親町天皇の永禄3年(1560)には、赤石左衛門尉・同又次郎の領有となるや
領土の安全を祈り、祭供料と神領を寄進した。
明正天皇の寛永14年(1637)、伊勢崎城主河内守忠行は社殿を修覆し祭米を奉り、
霊元天皇の延宝9年(1681)には酒井下野守忠寛が領主となるや社殿を修理した。

また後桜町天皇の明和4年(1767)にいたり、
酒井駿河守忠温が社殿を修覆して祈雨の祭典を行った。

このように江戸時代にあっては領主酒井家の崇敬とくに篤く、
累世修理や祭米・奉幣を得てきたが、
明治維新後は郷土の鎮守神として氏子の尊崇するところとなり、
明治4年には村社に列せられ、同40年には境内諸末社を合祀して今日に至る。

雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その18 雷電神社。伊勢崎市境伊与久。その19

【雷除け信仰】
天正元年正月25日牛の刻(正午)、雷鳴の激しく天地も揺らぐかと思う折から、
境内の神木に落雷があった。
その破裂した神木の中央から一条の光を発していたので、
村民がひどく狼狽恐怖し、村の修験者須田峯ノ坊がこれを窺うと
一寸八分余の黄金像が現れた。

この像は地頭五十久禅正の守り神として祭られ、
神徳弘く悪疫災難を救済し、殊に雷鳴を恐怖する者がこの神を信じれば
恐怖の念が無くなるといわれた。

また、これ以来は境内の老杉の樹皮をはぎ取り、雷除けの護符とする
風が生じたという。
この信仰に関連して、夕立除けの信仰に基づいた太々講という
組組織が現在もある。
果たしていつごろから始まったのか定かでは無いが、
遠くは埼玉県朝霞市や群馬県利根郡にも講員がおり、
各地で三人講・五人講と称し、3月25日の例大祭の日には
今でも多数の講員が参詣する。
云々。。。


いやー、こちらの神社さんも深いですねー。
やっぱり来てみないと分かりませんっ。



以前の記事はこちらから。
大国神社 ookuni-jinja 。 [伊勢崎市]

【雷電神社】
@伊勢崎市境伊与久


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