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大国神社 伊勢崎市 その1 大国神社 伊勢崎市 その2 大国神社 伊勢崎市 その3

上野国十二社のひとつで、前からチェックしていた神社さんです。
伊勢崎の「大国神社」。

貫前神社赤城神社伊香保神社、甲波宿禰神社、
今回の大国神社、榛名神社、小祝神社、火雷神社、

大国神社 伊勢崎市 その6 大国神社 伊勢崎市 その8

倭文神社、美和神社賀茂神社宇芸神社、以上の十二のお宮。。。
(赤城神社は、前橋市三夜沢町、富士見町赤城山、二之宮町の3社が論社、
五宮は大国神社の他に若伊香保神社。)

しかし来て見てビックリ!
ヒジョーに歴史深い神社さんでした★
周辺にも興味深い史跡がテンコ盛りであります♪


大国神社 伊勢崎市 その4

=== 案内板より ===
上野国式内十二社 大国神社縁起
祭神大国主命
配祀神 渟葉田瓊入媛命、竹野媛命、日葉酢媛命、垂仁帝皇后、眞砥野媛命、筋瓊入媛命
外三柱 罔象女旧御手洗神社祭神、素盞嗚命、事代主命、旧八坂神社祭神

延喜式神名帳に上野国大国神社あり
上野国神社名帳に従一位大国神社とあるは即ちこの社である


大国神社 伊勢崎市 その5

縁記に曰く人皇第11代垂仁天皇の9年庚子4月より風雨順ならず、
大旱打続いて蓄斃死するもの数を知らず 天皇深く之を憂ひ給い
諸国の神明に奉幣せられ東国には百済車臨遣はされて車臨この地に来り


大国神社 伊勢崎市 その7

老松の樹下に宿る之即ち御手洗の亀甲松であった
偶々明旦前池に白頭翁の手洗ふを見たので問ふに
叟は何人ぞと翁答いで曰く吾は大国主の命である。

汝は誰だと車臨容を正して
吾は天皇の勅を奉じて風雨順時疫病平癒の奉幣使百済車臨である
願くは国家の為に大難を救助し給へと翁唯々と答ふ
言下に雲霧咫尺を辨せず翁の姿は消えて影もなし須叟にして風巽より起り、
甘雨澎湃として至り前地忽にして淵となった。


大国神社 伊勢崎市 その9

因ってこの郷の名を渕名と呼ぶ様になり、これから草木は蘇生し
悪疫悉く息み五穀豊饒土蒼生安穏となり天皇深く車臨を賞して左臣の位を授け
大国神社を此の処に祀らしめ此の地を賜ったと云ふ。

大国神社 伊勢崎市 その11 大国神社 伊勢崎市 その15 大国神社 伊勢崎市 その16

仝年15年丙午の年9月丹波国穴太郷より五媛の宮を奉遷して合祀した
故に古より当社を五護宮又は五后宮とも書き第五姫大明神とも称した
此時第五媛の神輿に供奉した舎人に
松宮内大須賀左内生形権真人石井田右内の4人があり、
松宮内の子孫代々当社の祀宮として明治に至ったと伝へられて居る。

後称徳天皇の神護景雲元年従五位上佐位采女勅に奉して上毛に下り
社殿を修造し国造の神として、
渕名荘三十六郷の總鎮守として尊崇殊に篤かった。

大国神社 伊勢崎市 その12 大国神社 伊勢崎市 その13 大国神社 伊勢崎市 その14

大国神社 伊勢崎市 その18 大国神社 伊勢崎市 その19 大国神社 伊勢崎市 その20

文化元年甲子現在の社殿を改築し、
明治7年熊谷縣管下北方16区佐位郡波両郡42ヶ村の郷社に列し
仝42年2月神饌幣帛料供進社に指定されたのである。

大国神社 伊勢崎市 その17

世界大戦後は、祭典を止められ神社の財産も開放となったが由緒ある神社で、
氏子を始め、四隣からの崇敬は目を追ふて古にかへりつゝある
境内は貮千四百七十六坪地は天然の丘陵に位置し、
近くは太田の金山、遠くは常陸の筑葉山と相対し遥かに西南を望めば
上武の連峯は雲烟模糊の間に縹沙として遠近の風光を収めて居る云之。
社前は延徳2年庚戌4月16日、本願法名清本秀行と刻せる石浄手鉢一基あり、
本御手洗の社前より移したものといふ。
云々。。。


大国神社 伊勢崎市 その10

いやいや、ホント深いですっ。
由緒、縁起を書き出しただけでこんなに長くなってしまいましたっ(汗、、、

史跡も多く、ちょっと気になるエリアであります。
古代東国の歴史満載。
大国神社、恐るべし。。。



【大国神社】
@群馬県伊勢崎市境下渕名


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