ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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=== 案内より ===
このお寺に参詣なさるかたは本堂にむかってナムアミダブツと十返
お唱え下さい。
800年まえ建久8年(1197)の夏、此の地に棚引く紫雲と共に善光寺如来が影現、
源頼朝に十返のお念佛を直授された奇瑞を勝縁に開創されたので
「紫雲山・頼朝院・十念寺」と号する、お念佛のお寺なのです。


十念寺と秋葉神社。 [長野市]その1

時降って應永7年(1400)「大塔の乱」合戦の場(篠之井大當附近)に駆けつけ、
戦死者一人一人に「十念」を授けて供養したのは「十念寺の聖」でありました。
600年の風雪に耐えて墓域に現存する、應永15年銘の六字名号碑断片は、
この聖の遺徳を後世に語り続けるものであります。~
云々。。。


「西光寺」から程なく。
こちら「十念寺」であります。
頼朝さん、ゆかりのお寺さんなのですねー。

突き当たりにある「本堂」の屋根の形と、
向こうに見える山の形がそっくりです!


十念寺と秋葉神社。 [長野市]その5

境内に入るとすぐ右手に「大仏堂」。
中には金色をした大きな大仏様が安置されています。


十念寺と秋葉神社。 [長野市]その8

大仏堂の傍らにある「六字名号碑」。


===
正道大和上名号碑由来
美作の誕生寺は法然上人ご誕生の地に熊谷蓮生坊を第一世として開創され、
第二十二世正道慈鋼大和上はご出世のまえの寛政年間(1790年代)
善光寺参道の十念寺を拠点に北信、中信に念仏を弘め、成果の一つとして
寛政11年(1799)丈六阿弥陀仏像建立の偉業を成就され、文化2年(1805)には
誕生寺住職に出世を遂げられた。
当山ご留錫中に入門されたお弟子の一人、卓道律師が文政2年(1819)故郷に建立した、
正道和上御真筆六字名号碑は久しく等閑に付されていたが此の度、~
云々。。。


十念寺と秋葉神社。 [長野市]その4

===
道歌碑、観音堂、六地蔵由来
大正14年(1925)4月21日付『信毎』夕刊は不思議な事件を報じている。
大門町「藤屋旅館」の当主藤井平五郎氏の病臥中「夢枕」が立った。
お告げの通り十念寺観音堂の床下から発見されたのが円板型の石碑と台石である。
円板には観音堂菩薩像と「御仏の誓ぞ高くかがやきて朝日に掛る紫の雲」
の道歌が陰刻され、台石には宝永2年(1705)3月18日の銘がある。
右の「道歌碑」を「縁の下の力持ち」と頼んで、天保11年(1840)再建された観音堂は
7年後の善光寺大地震にも耐え現在に至っているが工事費一切を一人で負担する
「一建立」であった。


十念寺と秋葉神社。 [長野市]その3

施主は問御所の穀物問屋久保田新兵衛苗肥(よしとも)である。
因みに観音堂西に位置する六地蔵(像高2.36メートル)も明治2年(1869)
同人によって建立された。
云々。。。


===
徳本行者名号碑由来
徳本行者諸国名号石記によれば、この個性溢れる六字名号碑は
日本全国で353基を数え、その内181を占める信州に行者の巡錫が行われたのは
文化13年(1816)4月1日から8月12日に及ぶ。
当山においては5月7日の御摂化に際して左の御名号を拝受した。
徳本行者(1758~1818)の晩年十星霜に及ぶ念仏弘通の諸国行脚において~
云々。。。


十念寺と秋葉神社。 [長野市]その2

「本堂」。


十念寺と秋葉神社。 [長野市]その6

同じ敷地内に「秋葉神社」があります。
由緒の案内も建てられていましたが、古くて
ちょっと読み取れませんでした。残念っ!


十念寺と秋葉神社。 [長野市]その7

そして、井戸の跡です。


===
善光寺 七井戸の一
鶴目井戸の跡
当秋葉神社(大権現)に関係ある来光院十念寺はもとより
三尺坊に縁のある菊屋の酒造りの水 および町民に喜んで使われた
菊屋は秋葉神社(大権現)の開基です
云々。。。


駅から善光寺まで向かう通り沿いだけでも
たくさんのお寺さんがあるのです。



以前の記事はこちらから。
かるかや山 西光寺 saikouji 。 [長野市]

【十念寺】
@長野県長野市西後町


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