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天明三年浅間やけ遺跡、鎌原観音堂にて。 その2

前回に続いて「鎌原観音堂」です。
正面参道に朱色の小さな太鼓橋がかかっています。。。


天明三年浅間やけ遺跡、鎌原観音堂にて。 その21

石段の脇にある石仏と石塔。


天明三年浅間やけ遺跡、鎌原観音堂にて。 その23

15段の石段。そしてその上にある観音堂。
この高台にある観音堂までたどり着けた人が、
浅間山大噴火の土石流から逃れることができ、
唯一の生存者となったのです。

200年以上前の出来事とはいえ、
なんとも言えない雰囲気があります。。。


天明三年浅間やけ遺跡、鎌原観音堂にて。 その22

時々訪れる参拝者に、
村の方が交代でお茶を出してくれています。


天明三年浅間やけ遺跡、鎌原観音堂にて。 その3

=== 案内板より ===
天明三年浅間やけ遺跡
天明3年(1783年)浅間山の噴火は、5月9日から始まったとされるが、
8月3日からは一段と激しさを増し、ついに5日の午前にはクライマックスの状態に達した。
午前10時30分頃、火口から噴き上げられた岩塊は、浅間山麓に落下し、
付近の土石を巻き込んで雪崩のような状態で斜面を高速で流れ下った。

鎌原村(現嬬恋村鎌原区)を中心とした浅間山麓の被害はこの時に発生した。
被害の中心となった鎌原村は、戸数百戸前後、人口570人ほどの
浅間山麓の拠点的な集落であったが、村は一瞬にして埋没し、被災死亡者は477人、
生存者は93人とされる。
観音堂とその石段。および参道入り口に文化12年(1815年)被災者の菩提を弔うために
建立された石碑は、この災害の実証的なものである。


天明三年浅間やけ遺跡、鎌原観音堂にて。 その24

観音堂の石段は昭和54年発掘調査され、その段数は全部で50段であり、
そのうち35段が埋没し、その土石層の厚さは6メートル前後と判明した。
なお、その際2人の被災者が発見された。

天明3年の浅間山の噴火は、群馬県内はもちろん全国的にも
社会・経済・政治に大きな影響をもたらしたが、
本遺跡はその象徴的なものとして重要である。
云々。。。


橋の下に、埋没してしまった石段が見てとれます。
一瞬にして村を飲み込んでしまった秒速100メートルで走った土石流。
想像を絶する光景であったでしょう。

嬬恋村、鎌原「鎌原観音堂」。
なんだか不思議と、とても素直な気持ちになれました。
来てみて良かった★
静かにたたずんでいる小さなお堂であります。。。



以前の記事はこちらから。
天明三年浅間やけ遺跡、鎌原観音堂にて。 そのⅠ [群馬県嬬恋村]

【鎌原観音堂】
@群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原


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