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史跡 千束原追鳥狩本陣跡 その1

=== 案内板より ===
史跡 千束原追鳥狩本陣跡
この本陣跡は、天保11年(1840)3月に水戸九代藩主徳川斉昭卿(烈公)が
追鳥狩を催した時の遺跡で、121平方メートル、
その中に高さ1.8メートルの塚が築かれている。


史跡 千束原追鳥狩本陣跡 その2

この塚は、元治元年(1864)に村民が斉昭卿を祀る小祠として建て
「烈公の社」と称していたが、明治になって常磐神社と社名を改め
神社として登録された。


史跡 千束原追鳥狩本陣跡 その3

追鳥狩とは武士が軍装をして、山野で鳥獣を狩り練武をすることで、
附近の住民が勢子として参加するのが通例で、ここでも村民が協力活躍した。
その後斉昭卿は、千波原で大規模の追鳥狩を行ったが、
その遺跡はすでに失われてしまい、この地が往時を偲ぶよすがとなっている。
云々。。。


史跡 千束原追鳥狩本陣跡 その5

というわけでやって参りました「常盤神社」です。
案内板にもあるように、昔、水戸藩主の徳川斉昭さんが軍事演習を行った場所。
神社さんでもありますが、
千束原追鳥狩本陣跡」として史跡にも指定されています。


史跡 千束原追鳥狩本陣跡 その6

史跡 千束原追鳥狩本陣跡 その7

=== 石塔案内より ===
幕末の水戸藩主徳川斉昭はアジアに進出する西洋諸国の勢力に備えて
天保11年(1840)から追鳥狩という軍事演習を行った。
その最初がこの千束原で行われ今の常盤神社の地に本陣が置かれた。
演習は鳥獣を追う狩であったが実は二万数千の騎士や歩兵が甲冑の武装で
旗弓槍銃砲を用い作法に従って行動する訓練であって
壮観人々を驚かせたという。
云々。。。


徳川斉昭さんは江戸時代末期の方で、幕末の名君と称された一人。
1840年にこの地で“追鳥狩”が行われます。
そして1867年、斉昭さんの息子さんである江戸幕府最後の将軍
徳川慶喜さんが大政奉還を行うのであります。

ウムムムムムム~。。。
深いなぁ。



【千束原追鳥狩本陣跡(常盤神社)】
@茨城県水戸市元石川町


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