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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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下野国分寺跡 ★下野市 その1

下野国分寺跡」にやって参りました♪
ここ、下野市です!

ずいぶん前に一度来たことがありますが~。。。


下野国分寺跡 ★下野市 その2

今日は何やらロープが張ってあり、
近くに寄れません。

聞けば、半年くらい前から、復元修理を始めた、とのこと。
おおーっ。いよいよですかっ?!
どどーん、と七重塔とか建てちゃうのかな?
今後がヒジョーに楽しみであります★

というわけで、
案内板より。。。


下野国分寺跡 ★下野市 その3

=== 案内板より ===
史跡 下野国分寺跡
奈良時代の天平13(741)年、聖武天皇は、仏教の力によって
政治の乱れや疫病を鎮め、国家の平安を守ろうと考えて、
全国に国分寺(金光明四天王護国寺)の建立を命じました。
寺には20人の僧が置かれ、鎮護国家の経典である
金光明最勝王経が読まれました。


下野国分寺跡 ★下野市 その4

国分寺は国の保護を受けて維持されましたが、
律令体制のゆるみと共に衰退し、その多くが古代末から中世初期には
廃寺になったと考えられています。


下野国分寺跡 ★下野市 その5

下野国分寺の寺域には、現在いくつかの堂塔跡が
地ぶくれとなって残り、往時の様子を今に伝えています。
これらの遺構から当時の建物の配置を復元すると、
奈良東大寺の様式を基本としていることがわかります。

南大門、中門、金堂、講堂は南北一直線上に建てられ、
中門から廻る回廊は金堂にとりついていたと考えられます。
塔は、回廊の外の東側に建てられました。
この塔は基壇の規模から、壮大な七重塔であったと推定されています。


下野国分寺跡 ★下野市 その6

これまでの調査で、寺院地の規模が東西413m、
南北457mであったことが確認されています。
また、伽藍地を掘立柱塀で囲む時期(Ⅱ-A期)、
北西隅の掘立柱塀の位置を変更した(Ⅱ-B期)、
更に北側の規模を縮小し、掘立柱塀から築地塀に建て替えた
時期(Ⅲ期)の変遷も確認されています。
云々。。。


う~ん、やっぱり勉強、なるなぁ♪
国分寺、けっこう好きかも(汗
ほとんど病気ですかっ?(汗、(汗、(汗



以前の記事はこちらから。
下野国分寺跡 ♯下野市
見返り浅間へ参る。。。♪ [栃木市]

以前の国分寺関係はこちらから。
遠の朝廷、大宰府に参る。。。♪  ★福岡県太宰府市
筑前国分寺七重塔と箱式石棺。  福岡県太宰府市★太宰府市文化ふれあい館
筑前国分寺跡に参る。。。♪  ★福岡県太宰府市

【下野国分寺跡】
@栃木県下野市国分寺


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