FC2ブログ
ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2019/06123456789101112131415161718192021222324252627282930312019/08

早乙女古戦場 その4

温泉に向かう途中、
偶然に見つけた小さな看板。。。
古戦場?戦が行われたとこ?

「早乙女古戦場跡」です!


早乙女古戦場 その1

=== 案内板より ===
古戦場
天文18年(1549)、那須氏、喜連川塩谷氏500余騎と
宇都宮尚綱率いる宇都宮軍2000余騎とが戦った古戦場で、
激戦の末宇都宮軍は喜連川軍の鮎瀬弥五郎実光に
背後から大将の尚綱が射たれ退散したといわれています。
云々。。。


小さなお堂の中に。。。


早乙女古戦場 その2

石塔がひとつ。。。


===
早乙女坂古戦場の跡
早乙女坂は、下野国の北部(塩谷・那須)と中央部の接点にあり、
戦国時代に、下野一円の領国経営を望む宇都宮氏にとって、
早乙女坂を抜き喜連川を治めることは、
北部支配への橋頭ほ(堡)を確保する上で最も重要な課題であった。


早乙女古戦場 その3

このため、早乙女坂をめぐる攻防は幾度かくりかえされたが、
その中でも、天文18年(1549)の戦いは、
宇都宮軍の大将尚綱が喜連川の助っ人、
鮎ヶ瀬弥五郎(左衛門尉)に射殺されるという大激戦であった。

弥五郎の働きによって、喜連川城下のピンチが救われたため、
喜連川領民は万こう(腔)の感謝を込めて
早乙女坂を、弥五郎坂と呼ぶようになった。

今、この地には、宇都宮尚綱のものと言われる供養等が建ち、
古戦場の跡を示している。
云々。。。


早乙女古戦場 その5

お堂にあった案内板には、
宇都宮尚綱さんの供養等が建ち~、と記されていますが、
階段入り口には「松尾弥五郎博恒墳墓」と刻まれた石の柱。。。

なんで?
う~ん、深い。。。



早乙女古戦場跡
@栃木県さくら市早乙女


大きな地図で見る
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する