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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2019/06123456789101112131415161718192021222324252627282930312019/08

=== 案内碑より ===
和歌の説明
うらめしいことです。だれをたよりにしなさいといって
私を捨てていかれるのですか。
私のことを思うなら、はやく帰って来てください。
(八歳になる塩谷朝業の女の子)

返事
育ててくれた母もいない家の、たいせつなおまえ一人を見捨てて、
どうして帰らずにいられるだろうか。
かならず帰って来ますよ。
(塩谷朝業出家して信生法師)
云々。。。

川崎城に参る。。。 ★矢板市 その1

===
歌碑説明
~前略~
朝業(ともなり)は、文武両道にすぐれ、鎌倉幕府の3代将軍
源実朝に仕えました。また、実朝とは和歌の道を歩む
親しい主従関係でもありました。

朝業は、承久元年(西暦1219年)将軍実朝の死を期に、
実朝の霊をとむらうために出家(僧侶になること)しようと、
川崎城にもどりました。
故郷の川崎城には、すでに母を亡くしている八歳になる女の子と
七歳になる男の子がいました。

朝業は、おさない子を残して、出家することに心がゆらぎましたが、
妻の七回忌を済ませた後、出家を決意し、京都へ向かいました。

この和歌は、出家にあたって、父(朝業)と子(娘)の
断ちがたいきずなに悩む姿が歌われています。
その後、朝業が出家し、信生法師として修行の途中、
川崎城にもどったのは6年後でした。
云々。。。


川崎城に参る。。。 ★矢板市 その3 川崎城に参る。。。 ★矢板市 その2

というわけで、矢板市「川崎城跡」にやって参りました!

いきなりですが、胸がキュ~ンとせつなくなるような
なんだか悲しい内容の歌碑であります。
歌の作者は塩谷朝業(しおのやともなり)さん♪
川崎城の初代城主。

こちらは城郭内にある「星宮神社」。


川崎城に参る。。。 ★矢板市 その4

深い堀がはっきりと残されています。
郭との境とかもわかりやすい!


川崎城に参る。。。 ★矢板市 その5

こちらから本丸方向へ。。。


川崎城に参る。。。 ★矢板市 その7

本丸より「二の丸」を望む。


川崎城に参る。。。 ★矢板市 その8

そして主殿である「本丸跡」です♪


川崎城に参る。。。 ★矢板市 その9

眺めがいいっ。
ここからは絶景ですね~!

===
川崎城跡(矢板市指定・史跡)
矢板市民から「城山」と呼ばれて親しまれている「川崎城跡」は、
平安時代から戦国時代にかけて塩谷地方の北西部を支配した
「塩谷氏」の本拠地です。


川崎城に参る。。。 ★矢板市 その11

この城は、丘陵全体を使って造られた「山城」で、
城跡の範囲は、北は城の湯温泉センターの西まで、
南は北窪不動尊の「堀江山」までの南北約1500m、
東西は宮川と弁天川の間約340mです。

主郭部は、城跡の中央やや南に位置し、東西44m、南北140m程の
三日月形を示しています。
主郭部と宮川との標高差は47mで、急斜面となっています。

この城跡の築城者は、塩谷朝業と考えられています。


川崎城に参る。。。 ★矢板市 その6

朝業は、宇都宮業綱(なりつな)のニ男で、鎌倉幕府の御家人として力を発揮し、
鎌倉幕府第3代将軍源実朝と和歌を通して親しくなりました。
中世文学史に残る「信生法師集」を残しています。

城跡には、朝業と実朝が和歌を読んだ句に梅を読んでいることにちなんで、
梅が植えられています。
また、朝業の二男時朝(ときとも)が笠間城主となっていることから
笠間市と姉妹都市になりました。
云々。。。


う~ん、塩谷朝業さんて宇都宮氏の方だったのですねー。
養子縁組でこっちへ来たのだとか。
いろいろな歴史有り、であります!
雪が眩しかったな~♪



以前の記事はこちらから。
塩竈神社に参る。。。  ★矢板市

以前のお城はこちらから。
箱田城と真壁城。  ★渋川市

【川崎城跡】
@栃木県矢板市川崎反町


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