FC2ブログ
ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2019/06123456789101112131415161718192021222324252627282930312019/08

=== 案内板より ===
黄泉からのメッセージ
イザナギ(伊耶那岐)とイザナミ(伊耶那美)は、夫婦の神で日本の国を生みました。
妻のイザナミは、火の神を生んだときにやけどでなくなり
黄泉(よみ)の国へ旅立ちました。
夫であるイザナギは、とても悲しんで、もう一度逢いたいと思いました。
黄泉の国を訪れたイザナギは、再会した妻に地上へ帰ってほしいと頼みます。

夫の気持ちをうれしく思ったイザナミですが、「残念なことに
私は黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。
ここから戻ることができないのです。」と答えました。

「しかし、黄泉の国神にお願いをしてみましょう。
その間、どうか私の姿を見ないでくださいね。」と願うように
暗闇に消えていきました。

いつまでたってもイザナミが戻らないので、
イザナギは妻のいましめを忘れて、とうとう灯りをともしてしまいました。


発掘情報館に行ってきました♪ その2の6

「少林山台遺跡12号墳の石室内部を想像復元したもの」


するとどうしたことでしょう。暗闇に浮かんだのは、
腐敗してウジ虫がわき、体から雷がわき出す、
恐ろしいイザナミの姿でした。
亡き妻のすっかり変わり果てた姿に恐ろしくなったイザナギは、
黄泉の国からあわてて逃げ出しました。

これを見たイザナミは、「私の約束をやぶり、恥をかかせたわね」
と怒り狂い、配下の醜女(しこめ)にイザナギを追わせました。
逃げるイザナギは、髪飾りを醜女に投げると山ぶどうになりました。
また、櫛を投げるとたけのこに変りました。
醜女達が争って山ぶどうやたけのこを食べている隙に、
黄泉の国から逃げていきました。

ようやく、黄泉の国境まで逃げおおせましたが、
醜女や雷が追ってきます。
イザナギが桃の実を投げつけると、桃の呪力によって
醜女達を追い払うことができました。

イザナギは、大きな石で黄泉の国との境をふさぎ、
亡き妻であるイザナミに向かって離別の言葉を告げ、
無事に地上の国に戻ることができました。(古事記より)
云々。。。


発掘情報館に行ってきました♪ その2の4

「北山茶臼山西古墳の発掘成果をもとに、割竹形木棺に
埋葬された様子を復元した模型」


===
古代人と死
科学や文明が未発達の古代において、
死は誰にでも訪れる大いなる恐れでした。
農耕社会の発展に伴い、生産を保障する「カミ」は、
共同体の祖霊から王権を伝える首長霊に変化していきます。

人々は、古墳に葬られた死者の魂に恐れをいだき、
何を葬ろうとしたのでしょうか?
云々。。。


発掘情報館に行ってきました♪ その2の12

「石槨から出土した人骨(多田山古墳3号墳)」

===
コトドワタシ
前橋市と伊勢崎市の境にある多田山古墳群の3号墳から
保存よい人骨が発掘されました。
6世紀につくられた、いわゆる竪穴式小石槨の中から
成人男性の全身骨格と幼児の頭骨が出土しました。
成人男性の骨格は、葬られ横たわった姿を留めていますが、
左足の骨が右胸の右手上に動かされていました。
これは密閉した石室を誰かが再び掘り返し、遺体が骨になってから、
足の骨を移動した状況証拠です。
このような例は、大分県の古墳でも認められています。

こうした儀式は、追善儀礼と呼ばれています。
人々は、黄泉の国から逃げ出したイザナギをイザナミが追走したように、
死者が現世によみがえることを恐れました。

足骨を動かしてその行動を絶つ儀礼は、イザナギが死者に離別の言葉を告げた
「コトドワタシ」を行ったものであると考えることができます。
云々。。。


う~ん、すごいぃ。。。
お祀り、儀式、呪術的というか、信仰というか。。。
ヒジョーに興味深い展示であります。
土器や石器などの日常に用いられる道具ばかりでなく、
習慣様式までも分かってしまうんですねー。
ウムム。。。


発掘情報館に行ってきました♪ その2の8

そして今回訪れた時開催されていた企画展。
「空・風・火・水・地 -五輪塔の世界観-」であります♪


===
五輪塔とは?
五輪塔は古代インドにおける仏教の宇宙観である「空・風・火・水・地」の五大要素を
宝珠形・半円形・三角形・円形・方形の形で象徴したものと言われます。


発掘情報館に行ってきました♪ その2の9

古代インドにおいて、釈迦の遺骨である仏舎利(ぶっしゃり)を納めた塚を
サンスクリット語で「ストゥーパ」と呼んでいました。
この「ストゥーパ」が仏教の伝播と共に中国へ渡り、卒塔婆・卒都婆(そとうば・そとば)
という漢字を当てられると共に、その姿も石造や・木造建築物である
「塔」へと姿を変え、我が国に仏教が伝わり広がる中で、
五重の塔などの建築物や寺の境内に建つ苔むした宝篋印塔や宝塔・五輪塔・板碑、
今もなお回忌法要の際にあげられる木の板塔婆などの様々な形に変化し
造立されました。


発掘情報館に行ってきました♪ その2の11

五輪塔の初現は、平安時代中頃から末と言われ、古く著名なものとしては、
奥州平泉中尊寺境内釈迦院墓地にある仁安4(1169)年銘の五輪塔があります。
時代は中世~近世へと下り、全国的に造立の盛行を迎え、
その流れは現在にまで至ります。
今なお墓石店や墓地には真新しい五輪塔が立ち並んでいることからも、
日本人に親しまれた最も息が永い石塔と言えるでしょう。


発掘情報館に行ってきました♪ その2の10

遺跡からの出土例には地下に納骨を伴うものが多く報告されていますが、
本来の卒塔婆の造立目的は、その造立という功徳をもって、
亡き人の死後の冥福を祈る「供養」にあり、造立意義からすれば、
造立された時点でその役目を終えていることになります。

石製五輪塔の多くは、空風輪・火輪・水輪・地輪の4つを
石を積み重ねて造られるものが一般的ですが、
全てを一石で造る一石五輪塔や、石製以外では泥で造ったもの、
掌に乗るほど小型の金銅製・水晶製のものなどもあります。
云々。。。


発掘情報館に行ってきました♪ その2の7

「餓鬼草紙」に描かれている五輪塔


う~ん、オモシロい。。。
ヒジョーに深い、ですっ!
いろんな世界観があるんですねー♪

こちらの情報館、また来てみたいなー★
次回の企画展もすごく楽しみ。



以前の記事はこちらから。
発掘情報館に行ってきました♪ その2  ★渋川市

群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館
@群馬県渋川市北橘町下箱田784-2

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する