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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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岩船神社 ★村上市 その26

岩船神社と隣り合わせにある「磐船招魂社」。
明神橋の向こうから見えたのは、こちらの白い「鳥居」ですね。

岩船大祭の今日、境内の真ん中にはテント?が張られています。
ちょっと失礼しまして。。。


岩船神社 ★村上市 その23

ん?
これかな?

こちらの神社さんが磐船招魂社でしょうか?
小さなお社であります。
ウム。。。


と。

岩船神社 ★村上市 その24

お。

お?


岩船神社 ★村上市 その25

おおーっ!!
私って柵好き?(汗。。。


=== ウィキペディアより ===
磐舟柵
磐舟柵(いわふねのき、いわふねさく)は、古代日本の城柵の一つで、越国におかれた。
石船柵とも書かれた。648年に現在の新潟県村上市岩船の辺りに置かれ、
廃絶の時期は不明だが8世紀初めまで存続した。

歴史的な考察から石船神社(いわふねじんじゃ)付近にあったとされるが、
遺跡そのものや場所を特定するだけの史料が発見されていない為、
正確な場所は判明していない。

概要
「日本書紀」の大化4年(648年)是歳条に、
「磐舟柵を治めて蝦夷に備え、越と信濃の民を選んではじめて柵戸を置いた」とある。
磐舟柵の設置を記したものである。
この前年には渟足柵が造られており、ともども北方の備えにあたったが、
磐舟柵のほうが北の荒川と三面川の両河口のほぼ中間地点あったとされ、
最前線の拠点だったと考えられている。

その後、「続日本紀」によれば、
文武天皇2年(698年)12月21日に越後国に石船柵を修理させた。
文武天皇4年(700年)2月19日には越後国と佐渡国に石船柵を修営させた。

磐舟柵に関する記録はこの700年で途切れる。
708年頃さらに北に出羽柵が建てられ、最前線の柵はこれに替わった。
このとき廃絶された可能性もあるが、
養老年間(717年 - 723年)まで渟足柵が存在したことがわかっているので、
磐舟柵も続いた可能性もある。結局のところいつ廃されたかは不明である。

磐舟柵と渟足柵など初期の城柵の遺跡は未だ見つかっていない。
この当時の柵がどのようなものだったかは推測というより想像で語るほかない状況である。
云々。。。


岩船神社 ★村上市 その22

そしてまた近くに「饅頭岩」発見!


===
饅頭岩
この岩は瀬波海岸に分布しており、
その形が饅頭に似ていることから饅頭岩の名がついている。
漂流石ではなく、冬季波浪の侵食作用により
硬い地質部分のみが残ってできたものである。
云々。。。


まるで饅頭?!


===
岩船神社
岩船町の氏神として広大な森を背景に松林の中に鎮座する岩船神社は、
岩船港や漁業の安全を見守るように建っている。
この神社は延喜式の磐船郡八座の筆頭に記されていて、
古くからある神社であり、祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、
罔象女命(みずはのめのみこと)、高龗神(たかおかみのかみ)、
闇龗神(くらおかみのかみ)の4神である。
饒速日命は物部氏の祖神で、罔象女命以下は貴船神社の神々で
この神社を明神様ともいう。

毎年10月19日にはお舟をのせた屋台を先頭に
9台の屋台が町々を巡行して、岩船まつりが行われる。
云々。。。



以前の記事はこちらから。
岩船神社 iwafune-jinja にやって参りました♪  ★村上市

以前の柵はこちらから。
そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」  宮城県多賀城市★多賀城跡Ⅰ
そうだ、東北に行こう!その12 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」  宮城県多賀城市★多賀城跡Ⅱ

磐船柵跡の碑(磐船招魂社)
@新潟県村上市岩船三日市

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