FC2ブログ
ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2020/04123456789101112131415161718192021222324252627282930312020/06

おおーっ!
これまた念願であった「多賀城跡」にやって参りました!
ヒジョーに、チョーうれしいんですけど(汗

多賀城跡。
城跡といっても、天守閣や櫓なんかがある、
戦国武将のお城とはチョイと違うんです。
ウィキペディアでは「城柵・じょうさく」として紹介されています↓

===
城柵(じょうさく)は、7世紀から11世紀までの古代日本に築かれた防御施設である。
現代の歴史学では特に北東と南西の辺境に置かれた
政治行政機能を合わせ持つものに限っていうことが多い。
個々の城柵は、「多賀柵」など柵の字を付ける場合と、
「多賀城」など城の字を付ける場合があり、城も柵も「き」と訓じていた。
北東は蝦夷、南西は隼人に対する備えとして置かれ、
対朝鮮・中国の城に比べると防備が弱く、行政施設としての性格が強いのが特徴である。
云々。。。


ヒジョーに楽しみですっ!

そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その1

=== 案内碑より ===
多賀城跡
多賀城は奈良・平安時代の陸奥国府跡である。
約1km四方を築地塀(ついじべい)で囲み、中央には儀式を行う
政庁がある。
さらに、城内には様々な仕事をした役所が沢山あった。
云々。。。


そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その3

ではでは、南から参りましょう。。。

「外郭南門跡」。


そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その2

こんなのが建っていたんですねー。
「奈良時代後半の外郭南門推定復元図」。
中国の宮殿みたいだネ。

===
多賀城の外郭南門
外郭南辺ほぼ中央に位置する八脚門跡です。
発掘調査の結果、多賀城の外郭門は南門・東門・西門が
存在したことが明らかになっていますが、
中でも多賀城の正面となる南門は
ひときわ立派であったと考えられています。
この門には政庁正面から350mの直線道路が延びていました。
云々。。。


そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その4

外郭南門から一直線に北へ伸びる道路跡。
政庁跡へ続く上りの階段があります。


===
政庁ー外郭南門間道路跡
多賀城の中枢部である政庁から外郭南門へ
南北にまっすぐ通じる道路で、多賀城の中で最も重要な道路である。

発掘調査の結果、道路幅は、政庁第Ⅰ~Ⅱ期(8世紀)が12m、
第Ⅲ~Ⅳ期(9~10世紀後半)が23mに拡幅されていることが分かっている。
政庁南側斜面は自然石を並べた階段が設けられていた。
また道路には排水用の暗渠も設置されており、
ここから多数の木簡が見つかっている。

現在は政庁第Ⅰ~Ⅱ期の状態に復元整備している。
云々。。。


===
政庁
政庁は政務や儀式が行われる、城内で最も重要な場所であった。
周囲は約100mの築地塀で囲まれ、
内部は正殿・脇殿等が計画的に配置された。
云々。。。

そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その5

===
多賀城跡政庁 推定復原模型
政庁は多賀城のほぼ中央に位置し、陸奥国府の重要な儀式などを行ったところで、
周囲が築地塀で囲まれ、その中心に正殿、東西前方に脇殿が配されている。

これは発掘調査結果に基づき、第Ⅱ期(8世紀後半)の建物について
推定復原したものである。
云々。。。


そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その8

そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その7

===
政庁正殿跡(第Ⅱ期ー8世紀後半)
政庁で中心的な建物の跡である。
この時期の正殿は磁石式の四面廂付建物で、その南には石敷広場がある。
現在は基壇部分のみ復元表示している。
云々。。。


そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その9

そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その6

政庁南門跡(第Ⅱ期ー8世紀後半)
政庁の南正面に開く門跡である。
この時期は磁石式の門で、その東西に翼廊が取り付く。
現在は基壇部分のみ復元表示している。
云々。。。


そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その10

そうだ、東北に行こう!その11 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」 宮城県多賀城市★多賀城跡 その11

政庁東殿跡(第Ⅱ期ー8世紀後半)
政庁東門の位置につくられた殿舎の跡であり、第Ⅱ期に特徴的な建物である。
南北に築地塀が取り付く。
現在は基壇部分のみ復元表示している。
云々。。。


===
特別史跡 多賀城跡
多賀城跡は奈良の平城京、福岡の大宰府とともに日本三大史跡といわれている。
多賀城は今からおよそ1200数年前の奈良時代(8世紀)に
東北地方の一大中心地として國府と鎮守府がおかれ、
平安時代以降も國府として南北朝時代(14世紀)までつづいた。

多賀城跡はおよそ1キロ四方の広さをもち
その中心からやや南よりに東西100メートル、
南北200メートルほどの長方形に築地のめぐらされた内城跡がある。

発掘調査(昭和39~44年度)の結果、内城地区は奈良~平安時代に
4回の造営がおこなわれていることが確かめられた。
地方の政治施設としては、大宰府をのぞいて、
これほどととのった宮殿風の建築は類がない。

内城跡の東南1キロにはこの多賀城に附属した多賀城廃寺跡があり、
昭和41年4月多賀城とともに特別史跡に指定されている。
云々。。。

つづく。。。



以前の記事はこちらから。
そうだ、東北に行こう!その10 「潟沼へ。。。」  ★宮城県大崎市

以前の国府関係はこちらから。
史跡「上野国分寺跡」  ★前橋市
上田市にて、お寺さん巡り、その18  上田市★信濃国分寺跡史跡公園
常陸国分寺跡と都々一坊扇歌堂  ★石岡市
下野国分寺跡 ♯下野市
国府野遺跡 kounoiseki  ★足利市


多賀城跡
@宮城県多賀城市

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する