FC2ブログ
ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2019/09123456789101112131415161718192021222324252627282930312019/11

=== 案内板より ===
中尊寺境内
前九年合戦・後三年合戦の後、奥州藤原氏初代清衡公は、
奥州世界の中心、関山丘陵に中尊寺の造営を始め、
大伽藍を完成させました。
「吾妻鏡」に記される堂塔40余宇、禅坊300余宇のうち、
金色堂が現存するほか、発掘調査で平安後期(12世紀)の
堂宇跡や、大池、三重の池などの園池跡が確認されています。

境内は、周囲約5.4キロメートル、面積約134万平方メートル
におよびます。
平安後期における奥州藤原氏の東北経営を考える上での
重要な歴史的意味に鑑み、特別史跡に指定されています。
云々。。。


そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その1

いよいよやって参りました「中尊寺」です!
まさしく奥州藤原文化の決定版!

そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その2

にわか雨の降る中「月見坂」を上って行きます。

サーッ、と小雨が舞ったと思うと
木漏れ日がさしたり、とても幻想的な雰囲気。。。
すんごい蒸し暑いのですが。。。(汗


そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その3

「八幡堂」。

===
八幡堂の由来
やおよろずの神々の中で、八幡神は最も早く仏教にとけ込み、
八幡大菩薩と尊崇されてまいりました。
祭神を応神天皇とする伝統的信仰から、皇室の祖神、国家の守護神として、
ことに源氏の氏神として、八幡宮は諸国に造建され、
広く信仰されてきました。
天喜5年(1057)鎮守府将軍源頼義、義家、安倍氏追討のためこの地に至り、
ここ月見坂で戦勝を祈願しました。
いわゆる前九年の戦です。
かくて長い戦いを収め、勝利の記念に京都岩清水から迎えたのが
鎌倉の八幡宮です。

~中略~
明治の神仏分離で、八幡堂と称し阿弥陀如来尊像も合祀
庶人の熱心な御信仰をいただいております。
云々。。。

そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その4

弁慶堂手前の「総門跡」。


そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その5

そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その6

「弁慶堂」。
こちらのお堂には鳥居があり、狛犬クンもいらっしゃるのです。

===
由緒
この堂は通称弁慶堂という文政9年の再建である。
藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀
愛宕宮と称した傍らに義経公と弁慶の木像を安置す。
云々。。。




そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その7

「薬師堂」。

===
薬師堂縁起
この薬師堂は藤原清衡公が中尊寺境内に堂塔40余宇建立の一宇であった。
その旧跡は現在の所ではなく、他に建立されたのであったが
明暦3年(1657)に現在地に建立された。
堂内には慈覚大師作と伝えられる薬師如来が安置され
脇仏として日光菩薩、月光菩薩が安置されております。
云々。。。

そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その8

そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その9

「東物見」。
石塔に、前九年役、後三年役、衣川古戦場跡、と刻まれています。
見晴らしが良く、絶景でありますが、
なんだか感慨深いなぁ。。。

。。。

そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その10

「地蔵堂」。


そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その11

「観音堂」。


そうだ、東北に行こう!その3 「奥州藤原文化の決定版!!」 岩手県平泉町★中尊寺 その12

こちら「本堂」入り口。
中尊寺です!

つづく。。。



以前の記事はこちらから。
そうだ、東北に行こう!その2 「義経終焉の地。。。」  岩手県平泉町★高館義経堂

中尊寺
@岩手県西磐井郡平泉町

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する