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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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山上古墳と山ノ上碑 ★高崎市 その1の、その1

=== 案内板より ===
来迎阿弥陀画像板碑
剣菱形の緑泥片岩の板碑の上半に、薄肉彫りで
右斜めを向いた阿弥陀如来一尊を刻んでおり、下半には、
中央に「建治4年正月 日」と紀年銘を刻み、その両側に
一対の華瓶(二具足)を線刻している。

二条線は剥落したのか明らかでない。
高さ97.5センチ、幅33センチ、厚さ5センチの一般的な大きさである。

山上古墳と山ノ上碑 ★高崎市 その1の、その9

阿弥陀の顔は右斜め下にむかい、頭部には放射状の頭光(輪光)を
線刻しており、印相は、右手をあげ左をたれた来迎印を結び、
踏み割り蓮座の上に立っていて、信仰者の臨終にあたって
これを極楽浄土に迎える弥陀来迎の形式をとっている。

銘文の建治4年は西暦1278年、鎌倉時代中期の造立である。

山上古墳と山ノ上碑 ★高崎市 その1の、その2

板碑は、鎌倉中期にあらわれ、戦国時代ころまでつくり続けられる。
五輪塔などの墓標とあわせて建てられるので、
年回などの際に建てられる現在の卒塔婆にあたる。
云々。。。

山上古墳と山ノ上碑 ★高崎市 その1の、その4

===
三郡板東の札所 窟堂址(馬頭観音)
江戸時代の中頃、旅をおぼえた民衆は、名所古跡を訪ね、
古来の札所を廻った。
西国三十三所の観音札所であり、板東の札所である。

しかし一般の庶民にとって、これら長距離の札所は高嶺の花で、
とうてい順礼することはできない。
そこで考えだされたのが、ミニ観音札所や、
四国八十八か所になぞらえた新四国である。


山上古墳と山ノ上碑 ★高崎市 その1の、その6

この国指定の山の上の古墳の中に馬頭観音が祀られ、
窟堂と呼ばれる観音堂が建てられ、石段が積まれたのは
何時の頃か。
明和6年(1769)には多胡郡、緑野郡、北甘楽郡内の板東三十三所遷しの
四番札所に選ばれたが、時は流れ、お堂は失せ、
札所の伝えも忘れられて、あたかも史跡への石段であるかのような、
錯覚のみが残っている。
云々。。。


山上古墳。
こちらの入り口からチョイと入ってみましょう。。。
恐る恐る。。。(汗
おお。。。(汗、 暗いなぁ。。。(汗

山上古墳と山ノ上碑 ★高崎市 その1の、その7

なにかっ?!

山上古墳と山ノ上碑 ★高崎市 その1の、その8

観音サマですかっ?!

これぞ正しく窟堂址。
古墳が窟堂にされていたなんて
ナニゲにおもしろくりません?
ウムム。

山上古墳と山ノ上碑 ★高崎市 その1の、その5

===
山上古墳(やまのうえこふん)
南にのびる丘陵屋根の先端頂上近くを「コ」の字形に掘りこみ、
全長6メートルほどの横穴式石室を造りこんで、
正面観を径15メートル前後、高さ5メートル前後の円墳に仕上げていて、
この種の古墳は、「山寄せ古墳」とよばれている。
墳丘には、葺石の施設や埴輪の配列は認められない。
~中略~

このような特徴は、典型的な終末期古墳の特色であり、
7世紀中葉の築造と推定されている。
云々。。。


山上古墳は窟堂の址。
そしてすぐ隣にある「山ノ上碑」。
さぁさぁ、参りましょう♪
つづく。。。

【omake】
こちらの古墳に入る時には気をつけてね★
ものすごい数のカマドウマが貴方の背中に降りかかってキマス。



以前の古墳はこちらから。
南下古墳群 minamishimo  ★群馬県吉岡町

山上古墳と山ノ上碑
@群馬県高崎市山名町

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2010/07/13(火) 21:10 | | #[ 編集]
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