FC2ブログ
ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2020/06123456789101112131415161718192021222324252627282930312020/08

桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その1

群馬県吉岡町にある「桃井城」の跡です。

何気なくやって参りましたが、
いやいや少しだけ迷いましたがね。
お城までの目印がほとんどありませんから(汗

高台というのかな?丘の上に建っていたお城です♪
こちらからの眺めは良いですねー。

桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その2

反対側は畑となっています。
お城の痕跡って、なんにもないのかな?(汗


=== 案内板より ===
桃井城
ここは南下字大藪の通称城山(じょうやま)と呼ばれる、
標高349.4mの丘陵地である。
南北朝時代、この地に生まれ、足利氏ゆかりの武将桃井直常(なおつね)が
居城を築いたところと伝えられ、桃井城又は大藪城といわれ、
榛東村山子田の桃井城又は山子田城といわれる城と密接な関係にあった。

桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その4

直常は弟直信(なおのぶ)と共に足利尊氏に従い、
京都の六波羅探題を滅ぼし、その後尊氏の弟直義(ただよし)に従って
南朝に協力し、播磨守(はりまのかみ)となり、また越中守護となり、
北朝の尊氏方と戦い、晩年は播磨(榛東村)に隠棲したと伝えられている。
城跡は農地開放のため開発が進められ、ほとんど原型を浅していない。
云々。。。

桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その3

城主であった桃井直常さんて、もとは足利氏の方だったのですねー。
足利の大日様、鑁阿寺を建立した足利義兼さんのお孫さん・足利義胤さん。
この方が「桃井」の姓を名乗ったことから始まるのだそう。
すごいなっ。


足元にあった穴のあけられた石↑
これぞ、お城関係のなにかが立てられていた跡?
と思ってしまうのは、やはり病気?(笑


桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その5

そして、こちらの城域内には「八幡神社」と
「金剛寺」の跡もありました♪

獅子舞が有名なのかな?八幡神社さん。。。

桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その6

===
大藪獅子舞
大藪の獅子舞は、大永3(1523)年桃井播磨守が守刀とともに
八幡神社に奉納したのが始まりといわれる。

桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その7

流派は、稲荷流佐々良獅子で、一人立ち三頭連れの舞である。
頭は獅子でなく、枝角を2本つけた竜で、
手甲・タッツケ・白足袋・草履の衣装で、腰につけた太鼓を打ち鳴らして舞う。
舞の振りは、「剣の舞」を始め30通り、歌が21通り、
通り笛が6通りあり、威勢のよさと、振りの多さは近隣にないものである。
又、新井村や溝祭村の獅子舞も、大藪の人が教えたと言われている。
云々。。。

桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その8

境内にはいくつかの小さな石祠がありました。

そして八幡神社さんから左手、
「金剛寺」があります。
「跡」って表記がありましたけど、
今でもお護摩が焚かれているんじゃないのかな。。。
どうなんだろう?

桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その9

こちらのお寺さんにあるのが「宝篋印塔」デス★


===
金剛寺の宝篋印塔
宝篋印陀羅尼経を納めた小塔を模して造られた石塔を宝篋印塔と言い、
鎌倉期より供養等として造立された。
江戸期には墓塔として用いられることが多くなりその形は著しく変化した。
~中略~

吉岡町金剛寺の宝篋印塔は、関東型に属し反花座と相輪とが欠失している。
基礎部の四面は共に輪郭を以て2つに区分し、上部は三重段形を成している。
塔身部の四面は平面であって、円形中に「ア」「アー」「アン」「アク」の
胎蔵世四佛の種字が陰刻されている。
笠部は下方に二重の段形を有し、上部は四重の段形を成しているが
第一段は隅飾突起に連結している。
四段目上面の中央に掘られた穴は相輪一式下方の突起部を組み込み
固定したものである。

桃井城跡 ★群馬県吉岡町 その10

この宝篋印塔の基礎正面の「浄眼大禅定門應永13年(1408)十二月廿八日」等の刻字や、
塔身部の正面刻字に付いては異論もあるが、
欠損を免れた2つの隅飾突起を初め塔全体の形状が
室町初期造立の形態を具えていて吉岡町石造物中屈指の逸品である。
云々。。。



桃井直常さんの供養塔とも云われる宝篋印塔。
なかなか面白いモノを拝見できました♪



以前のお城はこちらから。
神鳥谷 hitotoyaの城は小山の居城  小山市★鷲城跡

桃井城跡
@群馬県北群馬郡吉岡町

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する