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祗園城跡 ★小山市 その1

小山市にある「城山公園」。
お花見、桜が有名な公園ですねー。

この公園、かつての小山氏の居城、
「祗園城」の跡地が整備されたもの。

公園内は今でも、曲輪(くるわ)の跡、堀、曲輪と曲輪を渡す橋、と
当時の城の区画が残っています♪
堀なんて、けっこう深かいんですねー。

祗園城跡 ★小山市 その6

=== 案内板より ===
小山城址案内
小山城(祗園城ともいわれる)は小山駅の西方500m、
思川東岸の台地上にある南北に長く西側は思川の侵触によって
切りたった崖になっていて、天然の要害をうまく利用している。
~中略~

祗園城跡 ★小山市 その2

小山氏は関東有数の豪族領主として知られ
初代政光以来鎌倉幕府内で勢威を張ってきたが、
第11代義政にいたって関東官領足利氏満に叛したため滅亡した。
やがて、室町幕府の配慮により、同族結城氏から基光の次男
泰朝が小山に入って第2次小山氏の祖となった。

泰朝はおそらくこの城址の一郭に居をトしたと考えられるが
場所不明。その後第3代持政のとき、時勢にかんがみて
大いに拡張整備された模様である。
動乱の戦国時代の末期、第9に政種は小田原の後北条氏に加担したため
豊臣秀吉の怒りに触れ、没収追放の身となり、
天正18年(1590)7月第2次小山氏も亡びた。
云々。。。


祗園城跡 ★小山市 その3

別の場所にもう1つ案内がありました♪
こちらもどうぞ★


===
史跡 祗園城跡
平安時代に藤原秀郷が築いたという伝承もありますが、
正確な築城年代は不明で、記録に見えるのは14世紀後半のころからです。
この城を築いたとき、
城守りの神として祗園社(現在の須賀神社)をまつったことから、
祗園城と呼ばれるようになったと伝えられています。

祗園城跡 ★小山市 その4

西に思川をひかえた丘陵を利用して築かれ、
築城されたころは 現在の城山公園程度の規模と思われ、
小山氏の本拠となったのは15世紀になってからのことでしょう。
戦国の動乱にさいして、小山氏は越後の上杉氏や小田原の北条氏といった
有力な戦国大名に攻略され、天正3年(1575)北条氏照によって祗園城は陥落、
小山秀綱は追放されました。
その後氏照が大規模に拡張・整備を行ったと思われます。

やがて北条氏も滅亡し、江戸幕府成立後本多正純が
3万石で城主となり、最終的な縄張りを完成させ、
東西約400m、南北約700mにおよぶ城郭となりました。
この正純も元和5年(1619)宇都宮へ転封となり、
祗園城は廃城となりました。
云々。。。

祗園城跡 ★小山市 その5

小山氏はもちろんですが、他にも北条氏、
江戸時代には、家康の側近であった
本多正純さんもいらっしゃってたんですねー!
すごいなっ★

小山義政の乱では、
義政さん自らが焼き捨てたという、ここ祗園城。

歴史のごちそうがいっぱいの城跡でした♪
また来てみたいなぁ~。



以前の記事はこちらから。
小山氏の終焉の地、粕尾城跡と赤石河原(粟野を攻めてみませんか♪その2の2)  ★鹿沼市中粕尾


祗園城跡
@栃木県小山市城山町

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