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常陸国分寺跡 ★石岡市 1

茨城県石岡市にある「常陸国分寺跡」です。
聖武天皇の御代、全国の66ヶ所に建てられた
国分寺の一つです♪

こちらは本堂手前にある「弘法大師堂」。

常陸国分寺跡 ★石岡市 2

「本堂」。
明治43年(1910年)、筑波四面薬師の一つを移したものだそう。

この辺りは何回かの発掘調査がされたようですが、
中門、金堂、講堂、僧坊、廻廊、経堂と、
往時の建物跡がはっきりと残っているのは
全国の国分寺の中でも珍しいのだそうです。

常陸国分寺跡 ★石岡市 3

=== 案内板より ===
国指定特別史跡 常陸国分寺跡
国分寺・国分尼寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願により、
鎮護国家を祈るため、国ごとに置かれた寺院である。

国分寺は、金光明四天王護国之寺といい、
金字金光明最勝王経一部を安置した七十塔を設け、
常住の僧20名と、最勝王経10部を置いた。
寺院の財政は、封戸50戸、水田10町によってまかなわれた。

常陸国分寺跡 ★石岡市 4

常陸国分寺跡は、昭和52年の発掘調査により、現本堂西側に
鐘楼基壇(鐘つき堂の基礎)が発見され、
次いで、昭和56年から2次にわたる発掘調査では、
各伽藍(主要建造物)の基礎の規模が明らかになった。

特に、金堂跡については、現在残されている基壇の
約4倍の規模をもつことが明らかになり、
大建造物を有する寺院であった。
云々。。。


常陸国分寺跡 ★石岡市 7

本堂のすぐ裏側にあった「金堂跡」。
いくつかの磁石があります。

常陸国分寺跡 ★石岡市 5

もう一つ。
こちらに面白い建物がありました。
国分寺とは関係ありませんが。

都々逸(どどいつ)を作った「都々一坊扇歌」さんを祀るお堂です。


===
都々一坊扇歌堂(どどいつぼうせんかどう)
都々一坊扇歌は、文化元年(1804)医者 岡玄策の子として
久慈郡磯部村(常陸太田市磯部)に生まれ、幼名を子之松(ねのまつ)、
のちに福次郎と改めた。

幼少の折、病により失明同様となったが、芸の道を志し、
20歳のとき江戸に出て、船遊亭扇橋の弟子となった。
その後、寄席芸人としての修行が続き、天保9年(1838)一枚看板をゆるされ、
当時流行していた「よしこの節」「いたこ節」などを工夫して、
新しく「都々逸節」を作り都々一坊扇歌と名のった。

常陸国分寺跡 ★石岡市 6

扇歌は、高座にあって聴衆からのナゾかけを
即座に解いてしまう頭の回転の早さが、
江戸庶民の評判になったというが、
当時の政治や社会を批判したため、江戸追放の身となった。
その発端となったのは
「上は金 下は抗なし吾妻橋」の一句であった。
云々。。。


国分寺と都々一坊扇歌さんのお堂。
石岡市にある国分寺跡です。
国分尼寺跡にも行ってみよう。。。



以前の記事はこちらから。
土浦港にて。  ★土浦市
以前の国分寺はこちらから。
上田市にて、お寺さん巡り、その18  上田市★信濃国分寺跡史跡公園
上田市にて、お寺さん巡り、その17  上田市★信濃国分寺の三重塔

常陸国分寺跡
@茨城県石岡市府中

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