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岡倉天心と六角堂 1

北茨城市、五浦にある「岡倉天心」さんの墓地です。


=== 案内板より ===
岡倉天心の墓地
この墓は日本美術院の主宰者岡倉天心の遺骨が、
天心の辞世とされている和文の「我逝かば花な手向けそ浜千鳥
呼びかう声を印にて 落ち葉に深く埋めてよ
12万年明日の夜 弔い来ん人を松の影」および
An Injunction(戒告)と題した英詩にもりこまれた遺志に沿い、
天心没年の大正2年(1913)東京都の染井霊園の墓から、
近代日本美術黎明の地五浦に分骨、埋葬されたものであり、
歴史的・文化的に価値の高い史跡である。
云々。。。

岡倉天心と六角堂 2

こちらはその向かい側にある
「茨城大学五浦美術文化研究所」~。

岡倉天心と六角堂 3

ていうか、今日お休みじゃあないですか(汗
六角堂、観れないじゃあないですかー!


===
茨城大学五浦美術文化研究所ご案内
当研究所は、近代日本を代表する思想家岡倉天心(1862~1913)の住居跡に設置されました。
天心は明治政府の美術文化行政の確立のため目覚ましい功績をあげ、
26歳の若さで帝国博物館(現東京国立博物館)理事・美術部長、
翌年には東京美術学校(現東京芸術大学)の校長となりました。

1898年に博物館、美術学校を辞職し、
橋本雅邦、横山大観らと日本美術院を創立。
以後、天心はインドで後のノーベル賞詩人タゴールと親交を結び、
ロンドン、ニューヨークで英文著書「東洋の理想」「茶の本」を出版、
ボストン美術館中国日本部長となるなど、
国際的に活躍の場を広げました。
1906年には日本美術院をこの五浦の地に移し、
愛弟子の横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山を呼び寄せました。

現五浦美術文化研究所の地所と建物は、
1942年に天心の遺族米山高麗子氏より岡倉天心遺跡顕彰会に寄贈され、
1955年茨城大学に移管されました。
現在の研究所敷地内には、長屋門、旧天心邸(1904)、六角堂(1905)、
天心偉績顕彰記念碑(1942)、ウォ-ナ-像(1970)、天心記念館(1963)があります。
茨城大学では遺跡の保存に努力すると共に、
岡倉天心と近代美術研究のために活用しています。
云々。。。


岡倉天心と六角堂 4

というわけで、場所を移して。
「五浦岬公園」からの「六角堂」であります。
こちらからの方が、どんな断崖に建っているかが、
わかりやすいかな?

岡倉天心と六角堂 5

=== 案内碑より ===
五浦海岸の渚と波音
五浦は、五ツの浦が開けていることから、その名が付けられました。
明治39年には岡倉天心が日本美術院の本拠をここに移し、
横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らと創作活動を、行いました。

海に突き出た断崖上に見える赤い建物は天心が建てた六角堂であり、
彼はここで太平洋を眺め、波の音を聞きながら、
思索にふけったと言われております。

岡倉天心と六角堂 6

六角堂周辺断崖に打ち寄せる波は、時にはやさしく、時にははげしく、
その時々の自分の心をあらわしているように聞こえます。

断崖に砕け散る波しぶき、小さな貝を運んでは引いていく波の音、松をわたる風の音、
さまざまな自然の音のハーモニーをかもしだすこの地は平成8年度に環境庁より
「残したい日本の音風景100選」として認定されました。

又、この地は潮の干満による渚の変化が大へんうつくしいことから、
「日本の渚・百選」としても認定を受けたところです。
云々。。。



岡倉天心さんと六角堂であります。。。



以前の記事はこちらから。
二つ。島?。。。  ★北茨城市

六角堂
@茨城県北茨城市大津町五浦

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