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樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-1

足利市、樺崎町にある「樺崎八幡宮」。
こちらの神社さんへも久しぶりにやって参りました。
先月開催された、足利市の文化財一斉公開の日、です♪

「鳥居」に向かって右手の駐車場に小さな案内が立てられています。
こんなのあったかな~?

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-4

一山十二坊図(鑁阿寺蔵)に描かれた下御堂↑

=== 案内板より ===
下御堂跡(しもみどうあと)
~前略~
「鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第」(鑁阿寺文書)に記された
下御堂(法界寺)跡と考えられます。
縁起には、下御堂の本尊として、建久4年(1193)に
三尺皆黄金の大日如来像を祀るとの記載があり、平成16年に
新たに発見された運慶作とされる大日如来坐像は
この建物の中に祀られていたものと考えられます。

新発見の大日如来坐像は平成20年春に海外のオークションにかけられ、
大きな話題となりました。
云々。。。


案内板が立てられたり、着々と発掘が進められていますねー。
楽しみぃ~♪

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-2

正面階段を上り、こちらが「樺崎八幡宮」。
「拝殿」です!
今日は教育委員会の方がいらっしゃって
わかりやすく説明いただきました★

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-3

昔は、法界寺と八幡宮が一緒になっていたそうですが、
神仏分離令によって神社となり、また、
この時に法界寺は廃寺となったようです。
なるほど☆

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-5

こちらは「本殿」です。

=== いただいた資料より ===
樺崎八幡宮本殿
樺崎八幡宮は、正治元年(1199)に源姓足利氏2代目・
足利義兼が入定した場所に、その子義氏が八幡宮を勧請し、
父の霊を祀ったことが始まりとされています。

本殿は天和年間(1681~83)に再建されています。
云々。。。

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-7

本殿のすぐ脇でもなにか発見されたようです♪

===
発掘調査では樺崎八幡宮本殿のすぐ北側で、
義兼がまつられた赤御堂(あかみどう)へ上がるための
石段が発見されました。
当時は石段の正面にお堂が建てられていたことが
推定されます。
義兼は赤御堂のかたわらで生入定したとされ、
本殿床下には義兼の墓標が立てられています。
云々。。。

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-6

本殿の床下にある「足利義兼公御廟」と記された墓標です。
この墓標の一画だけ土がやわらかく、
発掘調査すれば、なにかの発見がある確立がとても高いらしいのですが、
神域ですから。もちろんNO GOOD。


樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-8

社殿より左手に、復元された法界寺の遺構があります。
これは多宝塔の礎石跡です。

===
多宝塔跡
発掘調査では5.7×5.7mの大きさの礎石建物跡がされ、
14世紀には瓦葺きの建物に改修されていることがわかりました。
樺崎寺の多宝塔は、1226年に4代住持になった
熱田弁僧都重弘により、その父の供養のため建立されたとされています。
云々。。。

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-9

こんな塔があったのですね~♪

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-11

で。こちらの場所は「供養塔覆屋跡」です。

===
供養塔覆屋跡
山の斜面の岩盤を削りだし、平らにしたところに
3×3mの大きさの礎石建物が建てられていました。
お堂の中には義兼の子、義氏の供養塔である
五輪塔が置かれていたと伝えられています。
云々。。。

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-10

ここです♪

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-12

そしてまた少し行くと、「足利氏御廟跡」です。

===
足利氏御廟跡
発掘調査では南北20.4m、東西6.5mの大きさの基壇が
確認されました。
この基壇の上に五輪塔10基が並べられ、
瓦葺きの覆屋が建てられていたことがわかっています。
10基の五輪塔は足利氏歴代の供養塔で、
明治の神仏分離令により菅田町の光得寺に移され
現在まで大切に守られています。
云々。。。


ここの下層からも御廟の前身となる建物跡が発見されています。
すごいな~☆

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-13

水が抜かれ、発掘調査中の池。

===
史跡樺崎寺跡(法界寺跡)
樺崎寺跡は、文治5年(1189)に源姓足利氏の2代目・
足利義兼によって創建されたと伝えられ、市内では鑁阿寺とならぶ
中世寺院の遺跡です。

義兼は、鎌倉幕府の創設に貢献した有力御家人で、
源頼朝とは従兄弟であり、北条時政の娘を妻とする
義兄弟の間柄でもありました。
晩年に奈良・東大寺で出家し、
この樺崎寺で日々念仏を唱えて過ごしたと伝えられ、
正治元年(1199)にこの地で没しました。
~中略~

樺崎八幡宮と法界寺跡  ★足利市  09-12-14

樺崎寺は、鎌倉・室町時代を通じて足利氏や、
足利氏の重臣であった高氏の祖先の霊を祀る廟所として
大切にされてきました。
戦国期になり足利氏が力を失うと、樺崎寺も次第に衰退し、
明治維新以降の神仏分離令によってその歴史に幕を閉じます。
云々。。。



以前の記事はこちらから。
法界寺(樺崎寺)と樺崎八幡宮 足利市

樺崎八幡宮
@栃木県足利市樺崎町

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