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=== 案内板より ===
御室山金剛院円福寺は、古義真言宗の寺で、
新田宗本家4代の新田政義が開基したと伝えられる。
開山は政義により京都御所の仁和寺から招かれた
阿闍梨静毫とされる。

新田氏累代の墓 群馬県太田市 1

政義は寛元2年(1244)大番役(朝廷警固)のため在京中、
所労と称し、六波羅深題や、上司である上野国守護安達泰盛の許可を得ず
仁和寺に入り出家した。
このため幕府よりとがめを受け、所領の一部を没収され
失脚し帰国、由良郷別所に蟄居した。
円福寺はこの時に開基されたものと考えられている。

新田氏累代の墓 群馬県太田市 2

由良郷は別所・細谷・脇屋・奥(沖野)の4ヶ村を付属させた大きな郷で、
新田宗本家の所領であった。
新田宗本家の館跡が円福寺の北東隣接地(大字別所字大門)に
想定されている。
なお、この地域には室町・戦国期に岩松氏・横瀬(由良)氏の城跡が築かれている。

新田氏累代の墓 群馬県太田市 3

伝新田氏累代の墓は、茶臼山古墳前方部東側にあり、
多層塔・五輪塔・板碑の台石20基ほどがある。

石材は新田郡笠懸町西鹿田の天神山産出の凝灰岩と同定されている。
この中の一基の五輪塔地輪部に、新田義貞の祖父新田基氏の法名
とされる「沙弥道義」の銘文がある。


昭和54年度に墓地の保存整備事業を実施した際、
発掘調査が行なわれ、埋葬施設が確認された。出土した骨蔵器には、
中国産の白磁四耳壺、常滑焼・渥美焼の壺、地場産の軟質陶器が用いられている。

中国製磁器が出土することはめずらしく、新田氏の財力の大きさを物語るものであろう。
他の出土遺物に、かわらけ、板碑(建武5年銘ほか)、渡来銭(北宋銭が中心)、仏具、
阿弥陀教の一部を写経した経石などがあり、中世仏教信仰を知るうえでも興味深い。

新田氏累代の墓 群馬県太田市 4

墓が営まれた年代は骨蔵器・板碑・五輪塔群の様式から推定すると、
鎌倉時代中期~南北朝時代(13世紀中頃~14世紀中頃)と考えられる。
云々。。。


う~ん、ナニゲに興味深い。。。



以前のお墓はこちらから。
織田家の足跡 その3  甘楽町★織田氏七代の墓

新田氏累代の墓
@群馬県太田市

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