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境の明神 栃木、福島の県境 1

福島県と栃木県。
この県境にある「境の明神」にやって参りました★
二つの神社さんが並んで建っています。
福島側から見れば、栃木は外、
栃木側から見れば、福島が外、と
それぞれ主張しているところが、とてもユニーク。

歴史感満載の神社さんです♪

境の明神 栃木、福島の県境 2

こちらは栃木県側にある「玉津島神社」。
「狛犬」クンもアゴ髭たっぷりで
オモシロイ表情。


=== 案内板より ===
玉津島神社とよばれ、奥羽側の住吉神社と並立している。
創立は古く、天喜元年(1053年)4月14日に、
紀州和歌浦の玉津島神社の分霊勧請と伝える。

境の明神 栃木、福島の県境 3

起源は峠神として生まれ、奥州街道が開かれると
交通の発達とともに発展したが、
明治に入り、新国道や鉄道の開通によって
衰退したものとみられる。

境の明神 栃木、福島の県境 4

ことに明治39年12月の火災により類焼し、
昔日の面影を失ってしまったが、
旧東山道沿いの「追分の明神」とともに、
道中安全の神として古い歴史をしのばせる
貴重な史跡である。
云々。。。

境の明神 栃木、福島の県境 5

境の明神 栃木、福島の県境 6

もう一方。こちらは福島県側にある
「玉津島明神」です。


===
旧奥州街道に面して、陸奥(福島県側)と下野(栃木県側)の
国境を挟んで境の明神が2社並立している。

陸奥側の境の明神は、玉津島明神を祀り、
下野側の明神は、住吉明神を祀っている。

境の明神 栃木、福島の県境 7

境の明神の由緒は不詳であるが、
文禄4年(1595)に当時白河を支配していた会津藩主
蒲生氏が社殿を造営している。
現存するのは弘化元年(1844)に建てられた小祠である。
~中略~

境の明神 栃木、福島の県境 8

玉津島明神と住吉明神

玉津島明神(女神・衣織姫・そとおりひめ)と
住吉明神(男神・中筒男命・なかつつおのみこと)は、
国境の神、和歌の神として知られ、
女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という信仰に
基づき祀られている。

このため、陸奥、下野とも自らの側を「玉津島を祀る」とし、
反対側の明神を「住吉明神を祀る」としている。
云々。。。

境の明神 栃木、福島の県境 10

===
境の明神と玉津島神社

~前略~
京の都と奥州を結ぶ道は、古代には東山道(のち関街道)があり、
伊王野谷を流れる三蔵川を北上し、白河の関に至る道である。
途中の追分には追分明神(住吉玉津島神社という)が鎮座している。
祭神は衣通姫である。

境の明神 栃木、福島の県境 11

中世(鎌倉時代)には鎌倉と奥州を結ぶ奥大道(おくのだいどう・鎌倉街道)が
確認されている。
さらには奥州道中の前身(芦野では往古街道の呼称がある)が
いくつかの紀行文から知られている。

近世(江戸時代)になって江戸と奥州を結ぶ
奥州道中が整備され、参勤交代をはじめ
交通、流通の幹線として多くの人馬の往来があった。

境の明神は、このような時代背景の中、
旅する人々によって道中安全の神として
信仰の対象となったものである。

境の明神 栃木、福島の県境 12

近年、境の明神の2社をめぐって祭神の異説があるが、
江戸時代の文献には2社とも「大明神」「玉津島神社」とし、
宿村大概帳や奥州道中分間延絵図には、
関東側を玉津島神社とし、奥州側を境明神としている。

境の明神 栃木、福島の県境 9

境の明神の由来は国境の神がその原形であり、
当初は小さな祠であったろうと推察される。
その後、為政者や経済、信仰などの事由によって
現在のような社が形成されてきたものであろう。
云々。。。


行ってみたい神社さんでした。
予想以上に内容が濃く(笑、
来てみて良かったぁ~。

福島県側の境の明神の向かいにあった
「白河二所ノ関址」の碑デス↑


境の明神


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