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美和神社の境内社。八坂神社と神輿蔵 桐生市 2

=== 案内板より ===
八坂神社を祀る桐生祇園祭の歴史は古く、
明歴2年(1656)を起源とした祭礼である。

祇園祭は元来、天王祭礼(てんのうさいれい)とも云い、
仏教の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)を祭神に厄除け神として
京都祇園社に祀ったことにより全国に広まった神仏習合の祭りである。

桐生市本町(ほんちょう)三丁目の地(現市営アパート)に
衆生院(しゅうじょういん)という寺があった。
元禄年(1689)に市神(いちがみ)、牛頭天王社を造営したことにより、
子供の手踊りが中心の素朴な祭りも徐々に賑わうようになった。
元文3年(1738年)には衆生院の境内に神輿(みこし)蔵を造営し、
それまで本町四丁目の伊勢屋に借置きしていた神輿を移したことにより
本格的な祭礼の形が整ったのである。

その後、江戸中期になると祭礼屋台も造られ、
各町思い思いの出し物で人を楽しませるようになった。
主に狂言や練り物、曳き物などで競ったのである。

江戸後期、安政の頃になると、惣六町(本町の六町会)では
大型の祇園屋台を建造し、夜通し歌舞音曲で賑わったため、
「関東の三大祭り」と呼ばれた所以でもある。

美和神社の境内社。八坂神社と神輿蔵 桐生市 1

明治維新が実現し神仏分離の布告が出されると、
仏教の守護神である牛頭天王の神号は廃止され
素盞鳴命(すさのおのみこと)としたのである。
又、京都の祇園社が八坂神社と改めたため全国に広まった。

桐生では明治3年に衆生院が廃寺となり八坂神社と改名した。
それまで天王祭礼と呼んでいた祭りは、
これを機会に八坂祭典と正式に決めたのである。
しかし、三丁目の地は明治11年に山田郡警察署が新築されたため
除々に手狭になった。

明治40年には恵比寿新道が完成。
明治41年7月15日末社と共に美和神社に合祀され、
神輿蔵のみ建造し今日に至っている。
八坂祭典の名称は平成6年(1994)より桐生祇園祭と改めた。
尚、安置されている神輿は五代目として平成13年8月完成した。


八坂神社 神輿蔵
@群馬県桐生市宮本町(美和神社境内)

八坂神社 神輿蔵
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