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史跡 上野国分寺跡 前橋市 1

=== 案内板より ===
「上野国分寺の建立」
奈良時代天平13年(741年)に、聖武天皇は国の安泰を願うため
国ごとに僧寺と尼寺をつくることを命じられました。
これは「国分二寺」と呼ばれていましたが、
後に七重塔をもち規模の大きい僧寺が「国分寺」と呼ばれるようになりました。

史跡 上野国分寺跡 前橋市 2

当時、現在の群馬県は上野国と呼ばれていましたが、
国分二寺は国府(現在の県庁にあたる)の北西に、
西に僧寺、東に尼寺が並ぶように建てられました。

史跡 上野国分寺跡 前橋市 3

歴史書によると、上野国分寺は碓氷郡や勢多郡の
豪族の協力により、750年頃には主な建物が完成したようです。
これにより、全国の国分寺の中でも最も早い時期に
姿が整ったことがわかります。

史跡 上野国分寺跡 前橋市 4

「上野国分寺の移り変わり」
長元3年(1030年)の上野国の長官の交換に際して作られた記録に
1000~1030年頃の国分寺の様子が記録されています。
それによれば、周囲の築垣や大門、僧坊などが無くなり、
金堂にまつられていた本尊を始め多数の仏像が
壊れたままになっていたことが記されています。
この資料から、創建から約270年を経た時期にあっても
金堂は良好な状態にあったとみられます。

しかし、これも1380年頃には滅びてしまったようです。

史跡 上野国分寺跡 前橋市 6

~前略~
各地域の人々の力を集めて完成したきらびやかで巨大な塔は、
全国をまとめた政治の力と文化の高さの象徴でした。
上野国分寺跡にはこの塔の基壇や礎石が残っており、
また発掘調査では多量の瓦や石材が発見されました。
云々。。。


ガイダンス施設「上野国分寺館」には
60mもあったと云われる七重塔の模型(20分の1サイズ)や、

史跡 上野国分寺跡 前橋市 5

実際に発掘された本物の瓦などが展示されていますょ!
ガイドのおじさんがとても親切な方で、
ビデオなんかも見せてくれました♪

史跡 上野国分寺跡 前橋市 7

新しい文化として仏教を受け入れていった
日本の歴史ですねー。
すごいなー。


以前の国分寺はこちらから。
下野国分寺跡 ♯下野市

上野国分寺跡
@群馬県前橋市元総社町

上野国分寺跡
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