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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

=== 案内碑より ===
国指定 乙女不動原瓦窯跡
昭和53年5月11日指定

本瓦窯跡は奈良時代に下野薬師寺を始めとして
当地域の重要な寺院に瓦を供給した造瓦所であります
本瓦窯跡は昭和52年の確認調査から4基の窯跡、灰原、工房跡、
住居址が発見されています
平成元年の発掘調査により窯は平窯(ロストル窯)で
瓦専用の窯であることがわかりました
現在は面積6125平方メートルが国指定史跡として現状保存されています
云々。。。



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

以前よりチェックしていたスポットです。
小山市にある「乙女不動原瓦窯跡」にやって参りました。

古代の瓦生産工場の跡です。
ここで造られた瓦は、下野薬師寺や下野国分寺に使用されたと云います。



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

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平窯跡
平窯構造をもつ4基の窯は、谷から吹き上げる風を利用できるように
台地の縁辺部に並んでいます。
隣り合う2基1対の操業が考えられ、
次々と瓦の焼成が行えるよう工夫されています。
云々。。。



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

乙女不動原瓦窯跡。[小山市]



乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

乙女不動原瓦窯跡。[小山市]

===
灰原跡
窯からでる灰をかき出した場所で、
窯溝築時の排土や瓦片の混じる灰が堆積しています。
土中からは寄生虫の卵が検出されており、
工人達が作業の合間に用を足したこともあったようです。
云々。。。



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長良神社。[太田市]

太田市飯塚町にある「長良神社」です。

長良神社は藤原の長良さんをお祀りする、
館林や邑楽郡に多くみられる神社さんです。



長良神社。[太田市]

こちらの神社さんの鳥居の側には、なんと、
「埴輪武装男子立像」が建っています。

もちろん、レプリカでありまして、
国宝に指定されているホンモノは、国立博物館の所蔵であります。



長良神社。[太田市]

向って左から。



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お宝のテンコ盛りでした「米沢市」。
しかし~、楽しい時間が経つのはあっという間で、
すでに帰路に着いているわけであります。

東北自動車道、「安達太良SA(上り)」で小休止 (=゚ω゚)ノ
in 福島県。

そして、
どこからか聞こえてくるあのテーマソング♪。。。



安達太良SA(上り)にて。February. 2020 [福島県本宮市]

セブン~、セブン~、セブン~、セブン~、



[安達太良SA(上り)にて。July. 2020 [福島県本宮市]]の続きを読む
古志田東遺跡。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
「一ノ坂遺跡」に続いてやって参りました、
古志田東遺跡」です。

と、案内版が、ブ厚いビニールとロープでガードされてますねー。
雪対策か何かかな?
ちょっと見ずらいですけれど、ささ、参りましょう (=゚ω゚)ノ


=== 案内板より ===
古志田東遺跡
古志田東遺跡は、最上川流域の河岸段丘に扇状地が複合した
緩やかな微高地にあり、南北98メートル、東西95メートルの
約8千平方メートルの範囲に広がっており、蛇行した河川に添うように
平安時代の豪族屋敷と膨大な遺物が検出されています。
この遺跡調査は、(財)米沢市開発公社が計画した林泉寺住宅団地造成事業で、
約3千平方メートルを対象に平成11年4~8月に実施されました。


古志田東遺跡。[山形県米沢市]
「古志田東遺跡復元想定図」。

屋敷は、大型掘立柱建物「母屋」を中心に西と東に各2棟、
南北に各1棟の計7棟で構成されています。
河川跡には丸木橋や東西の船着場、船を留める施設などが付随しています。


古志田東遺跡。[山形県米沢市] 古志田東遺跡。[山形県米沢市] 古志田東遺跡。[山形県米沢市]
「木製品「挽き物」類」、「木簡類」、「物差し(高麗尺)」。

出土した木製品は、61点の木簡をはじめ、椀・皿等の挽物類、
鍬・横槌等の農具類、鐙・独楽・弓・曲物等の日常品類が含まれます。
木簡は、多くの労働者を動員した記録簡や米の種子札、
大名「有宗」を記した公文書の断片などの貴重な内容が記されています。
土器は、須恵器・土師器・赤焼土器の食器を中心に約4万点が出土しています。
その半数を占める赤焼土器には、
樹液等で処理を行った土器が3割ほど含まれています。
墨書土器は約5百点が出土し、東建物を指す「東」や地名を指す「山田」・
「西山田」・「揖保」、吉祥句である「千万」・「伍万」・「吉」などがあり、
全体の7割に記された呪術絵は、祭祀に用いられたと考えられます。
そして、最も注目される遺物が物差しの出土です。
一寸が3.5センチと3.12センチの目盛が片面ずつに刻まれており、
表が高麗尺、裏は唐尺の可能性が指摘されます。
この物差しを建物にあてはめると大型の建物は高麗尺、
他の建物は唐尺に符号することがわかります。


古志田東遺跡。[山形県米沢市]

古志田東遺跡が機能したのは、9世紀前半から10世紀初頭で、
律令体制が衰退する時期にあたります。
遺跡では、大規模な農業経営や運河を利用して交易を行っていたことが
木簡等から知ることができます。
このように屋敷を構築した人物は、
米沢周辺に大きな影響を及ぼしていた豪族と推測されます。
古代から中世にかけての資料は、全国的にも少なく、
特に古志田東遺跡の発見は、東北地域の歴史を解明する上で
極めて重要な遺跡と判断され、平成12年度に国の史跡に指定されました。
同年度に公有地化をはかり、さらに平成14年度に、
遺跡の重要性を広く周知する目的で史跡公園として保存整備を行いました。
云々。。。



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