FC2ブログ
ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2020/04123456789101112131415161718192021222324252627282930312020/06

下野薬師寺歴史館。[下野市]

コロナウイルス感染拡大防止のため休館となっていた下野薬師寺歴史館ですが、
5月26日(火)より開館するというニュースが飛び込んで来ました。
入場制限等もあるようですが、それにしても良かった。
今までの日常に少しずつでも戻って行けたら良いな、と思います。

こちらは、そろそろ梅の季節かなぁ、なんて言っていた頃の記事。
春が来る前のものです。。。
~~~


下野市です。

以前よりチェックしていた下野薬師寺跡。
史跡に隣接して建つ「下野薬師寺歴史館」です。
薬師寺跡を拝見する前にこちらで勉強して参りましょう (=゚ω゚)ノ



下野薬師寺歴史館。[下野市]
「下野薬師寺の伽藍」。


=== 案内板より ===
史跡下野薬師寺跡
下野薬師寺は7世紀末に中央で活躍した
下毛野一族の氏寺として建立されたと考えられています。
その後、8世紀前半には国の寺として造営を進めるため、
国の機関「下野薬師寺造寺司」が設置されました。また、761年に
東大寺(奈良県)・筑紫観世音寺(福岡県)とともに戒壇が置かれるなど、
国の仏教政策を担う東国の中心寺院として栄華を極めました。
その壮大な姿は、「あたかも七大寺の如く」と『続日本後記』に記されています。
※現段階での調査結果であり、
今後の調査によって見解が変わる場合があります。


Ⅰ期(創建期)
7世紀末、氏寺として建立されたと考えられる時期です。
伽藍中心部には塔・西側建物・東側建物を配置し、周囲を堀で区画していました。
また、瓦の調査結果などからⅡ期で造営される金堂の前身となる
創建の金堂が存在したものと推定しています。
寺院地は塀で区画されており、創建当初から東西250m、
南北350mに及ぶ規模であったことがわかりました。
※建物の性格が不明であるため西側建物・東側建物と呼んでいます。


Ⅱ期(国立寺院昇格期)
8世紀前半に国の寺として100メートル規模の回廊や金堂、講堂、
僧房など壮大な伽藍が整備された時期です。
天平5(733)年の平城京右京の戸籍には「於伊美吉子首・うえのいさきこおびと」
という人物が国の技術者として下野薬師寺に派遣されたと記されています。
その後、天平宝字5(761)年には戒壇が置かれます。
※戒壇の跡は現時点では確認されていません。


Ⅲ期(塔再建期)
伽藍中心部の塔が焼けたため、幢竿の東に塔を再建した時期です。
寺院地南西部で焼けた瓦を大量に廃棄した瓦溜まりが見つかったことから、
9世紀ごろに伽藍中心部の塔が焼失したことがわかりました。
云々。。。



下野薬師寺歴史館。[下野市]
「下野薬師寺 創建時の瓦」。


===
下野薬師寺の創建
下野薬師寺の創建は、川原寺式の文様瓦が出土することから、
7世紀末と考えられる。
板塀で囲まれた寺院地の広さは、当初から東西250m、南北350m。
これは地方としては破格の大きさで、中央の大寺院に匹敵する。
これほどの寺院がこの地に建立された背景には、天皇の絶大な信頼を得て、
中央で藤原不比等らとともに活躍した貴族
「下毛野朝臣麻呂・しもつけののあそんこまろ」の存在が考えられる。
云々。。。



[下野薬師寺歴史館。[下野市]]の続きを読む