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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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道鏡塚。[下野市*龍興寺]

下野市の「龍興寺」さん。
こちらには道鏡というお坊さんのお墓があります。
下野薬師寺別当を勤めた方です。



道鏡塚。[下野市*龍興寺]

道鏡塚」であります。

===
案内板より
道鏡禅師の墓所
奈良時代の高僧、道鏡禅師の墓所(道鏡塚)が当所です。
道鏡は若くして出家し、葛城山で厳しい修行をし、義淵(ぎえん)、
良弁から法相を学び、梵文と写経に通じ、如意輪法・宿曜法・
併せて、薬法や医術にも精通された高徳の僧です。



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薬師寺八幡宮。[下野市]

下野市です。

雷電神社に続いてやって参りました、
薬師寺八幡宮」です。



薬師寺八幡宮。[下野市]

昔、流鏑馬が行われていたという長い「参道」。
灯篭が並んでいます。



薬師寺八幡宮。[下野市]

「二の鳥居」。



薬師寺八幡宮。[下野市]

「ご神木」の欅。

手前にある小さなお社は「鷲宮神社」。
梟の置物が奉納されていました。


=== 案内板より ===
薬師寺八幡宮のケヤキ
樹高約20m・目通り周囲4.8m
推定樹齢600年
地元の人たちから八幡宮の御神木として親しまれ
大切に保護されてきたこのケヤキは、一説によると、
その昔源頼義(みなもとよりよし)が奥州平定の帰路当八幡宮に参宮し
自から植えた木伝えられてきたもので、
本町内に存在する数多いケヤキの中でもとりわけ大きく、
堂々とした姿はまさに名木といえよう。
云々。。。


===
梟(ふくろう)
其乃昔、このご神木に梟が住み着いていました。
森の見張り番とも、森の賢者とも称えられる梟は、
福郎とも福来郎とも吉字を当てられ
縁起の良い鳥として崇敬されています。
云々。。。



薬師寺八幡宮。[下野市]

「神楽殿」と「神輿庫」。



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雷電神社。[下野市]

下野市です。

下野薬師寺跡の塔跡から道路を挟んで向かいにあります、
雷電神社」です。



雷電神社。[下野市]

=== 案内板より ===
薬師寺八幡宮と雷電神社について
薬師寺八幡宮は、奈良時代前期に建てられた下野薬師寺の寺内社といわれ、
貞観17年(875)石清水八幡宮の祭神を東北守護の大神として
鎮座されたものといわれています。
また境内の八重桜は栃木の景勝百選にも選ばれています。
雷電神社の祭神別雷大神は、昔災害に苦しんでいた村人たちを、
天狗に姿をかえて助けたと伝えられ、この地に祭られています。
云々。。。


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下野薬師寺跡。[下野市]

下野市です。

下野薬師寺歴史館に続いてやって参りました、
下野薬師寺跡」ですっ。
ではでは早速参りましょう。



下野薬師寺跡。[下野市] 下野薬師寺跡。[下野市]
(写真はクリックで大きくなります。)


=== 案内板より ===
寺の外郭施設
1 寺院内と外部を区画する施設である。
2 下野薬師寺では施設の形式から4期の変遷があった。
3 1・2期の施設は板葺きの屋根に板壁の塀。
4 3期目の施設は瓦葺きの屋根に板壁の塀。
5 4期目の施設は1・2・3期の塀の外側に設けた大溝。
6 1期目の塀は7世紀末に造られたと考えられている。
7 3期目の塀は奈良時代前半に造られた。
8 整備では3期目の施設跡を部分的に表現している。
9 3期目の塀は土塁上に設けられ、その高さは約4mに復元される。
10 発掘調査で、堀の掘立柱は3m(10尺)の等間隔で建てられていることが
10 わかった。
11 その柱位置に高さ1mの丸柱(古代工法のヤリガンナ仕上)を立てた。
云々。。。



下野薬師寺跡。[下野市]
「下野薬師寺跡とその周辺が表示さた説明版」。

===
下野薬師寺の関連遺跡
下野薬師寺の造営や運営に関わった人々は、
寺の周辺に集落をつくり、暮らしていました。
寺の南 約1400mの大集落跡「薬師寺南遺跡」や
歴史館建設地の集落跡「落内遺跡」は寺の造営、改修の工人、
寺の下働きの人々の住む集落であったと考えられます。
これらの遺跡から、寺の造営や運営にともない、
たいへん多くの人々が、寺の周辺で暮らしていたことがうかがわれます。


下野薬師寺跡。[下野市] 下野薬師寺跡。[下野市] 下野薬師寺跡。[下野市]

薬師寺南遺跡航空写真(南から)
8世紀初頭~9世紀代の竪穴住居跡120軒などが見つかった。
下野薬師寺の創建以降、集落は次第に南へと広がっていった。

竪穴住居跡(西から)
「落内遺跡」
下野薬師寺の周囲に存在する集落で、
7世紀後半~10世紀代の竪穴住居跡100軒などが見つかった。

「角付土器」
上の写真の住居跡から見つかった土器。
写真の竪穴跡右側上部(丸囲み)に土器かぜ見える。
発見例の極めて少ない土器である。
云々。。。



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下野薬師寺歴史館。[下野市]

コロナウイルス感染拡大防止のため休館となっていた下野薬師寺歴史館ですが、
5月26日(火)より開館するというニュースが飛び込んで来ました。
入場制限等もあるようですが、それにしても良かった。
今までの日常に少しずつでも戻って行けたら良いな、と思います。

こちらは、そろそろ梅の季節かなぁ、なんて言っていた頃の記事。
春が来る前のものです。。。
~~~


下野市です。

以前よりチェックしていた下野薬師寺跡。
史跡に隣接して建つ「下野薬師寺歴史館」です。
薬師寺跡を拝見する前にこちらで勉強して参りましょう (=゚ω゚)ノ



下野薬師寺歴史館。[下野市]
「下野薬師寺の伽藍」。


=== 案内板より ===
史跡下野薬師寺跡
下野薬師寺は7世紀末に中央で活躍した
下毛野一族の氏寺として建立されたと考えられています。
その後、8世紀前半には国の寺として造営を進めるため、
国の機関「下野薬師寺造寺司」が設置されました。また、761年に
東大寺(奈良県)・筑紫観世音寺(福岡県)とともに戒壇が置かれるなど、
国の仏教政策を担う東国の中心寺院として栄華を極めました。
その壮大な姿は、「あたかも七大寺の如く」と『続日本後記』に記されています。
※現段階での調査結果であり、
今後の調査によって見解が変わる場合があります。


Ⅰ期(創建期)
7世紀末、氏寺として建立されたと考えられる時期です。
伽藍中心部には塔・西側建物・東側建物を配置し、周囲を堀で区画していました。
また、瓦の調査結果などからⅡ期で造営される金堂の前身となる
創建の金堂が存在したものと推定しています。
寺院地は塀で区画されており、創建当初から東西250m、
南北350mに及ぶ規模であったことがわかりました。
※建物の性格が不明であるため西側建物・東側建物と呼んでいます。


Ⅱ期(国立寺院昇格期)
8世紀前半に国の寺として100メートル規模の回廊や金堂、講堂、
僧房など壮大な伽藍が整備された時期です。
天平5(733)年の平城京右京の戸籍には「於伊美吉子首・うえのいさきこおびと」
という人物が国の技術者として下野薬師寺に派遣されたと記されています。
その後、天平宝字5(761)年には戒壇が置かれます。
※戒壇の跡は現時点では確認されていません。


Ⅲ期(塔再建期)
伽藍中心部の塔が焼けたため、幢竿の東に塔を再建した時期です。
寺院地南西部で焼けた瓦を大量に廃棄した瓦溜まりが見つかったことから、
9世紀ごろに伽藍中心部の塔が焼失したことがわかりました。
云々。。。



下野薬師寺歴史館。[下野市]
「下野薬師寺 創建時の瓦」。


===
下野薬師寺の創建
下野薬師寺の創建は、川原寺式の文様瓦が出土することから、
7世紀末と考えられる。
板塀で囲まれた寺院地の広さは、当初から東西250m、南北350m。
これは地方としては破格の大きさで、中央の大寺院に匹敵する。
これほどの寺院がこの地に建立された背景には、天皇の絶大な信頼を得て、
中央で藤原不比等らとともに活躍した貴族
「下毛野朝臣麻呂・しもつけののあそんこまろ」の存在が考えられる。
云々。。。



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HANIアプ。

最近、こんなゲームをやっています、
HANIアプ」。

埴輪を育てて古墳に飾って行くゲーム。
ご飯をあげたり、うんこを片付けたりするわけです。
「たまごっち」みたい。。。



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賀茂別雷神社。[佐野市]

佐野市多田町にある「賀茂別雷神社」です。


=== 記念碑より ===
御大典奉祝記念
当賀茂別雷神社は天智天皇8年9月(669)山城國上賀茂鎮座の
賀茂別雷神社の分祀として、菊沢山の中腹に社を建て雷神を奉斎した 
雷神を祭ればこの地は富貴安静ならむ、との神宣に依りて、
長雨に祈らば雨は止み、日照に祈らば慈雨があり、豊作の神として信仰高く、
天慶8年4月(945)唐沢山城主俵藤太秀郷公は信仰に依って本社を再造立し、
近郷の鎮守と尊信し祭資を奉納す。



賀茂別雷神社。[佐野市]

正徳5年2月(1715)御神徳に依り宗源宣旨によって正一位の神階を賜った。
宝暦11年(1761)現在の本殿を再建した。
明治43年(1910)現在地に本殿を移転し拝殿弊殿を新築し遷宮式を行なった。
その後平成元年11月(1989)田沼町誇れるもの百選に認定される。
この度平成天皇御即位平成2年11月の御大典を奉祝して
拝殿前の傾斜した鳥居の修復及び同附近の崩壊した石垣の積み替えの外、
石階段の手摺りを新設し掲示板を設け、その他拝殿内と会館内の模様替えを、
神社役員、区役員の協力により実施、滞りなく完了した。
云々。。。


賀茂別雷神社。[佐野市]

賀茂別雷神社。[佐野市]

こちらの「狛犬」クンは、マスクをつけていらっしゃいました。



賀茂別雷神社。[佐野市]

===
賀茂別雷神社 遷座百年奉祝事業
平成22年11月14日(2010年) 賀茂別雷神社本殿の遷座百年を奉祝して
遷座百年祭を斎行した
併せて、遷座百年奉祝事業として社殿及境内整備工事を施した
本殿拝殿の屋根葺替及弊殿拝殿の床張替、宝物殿補修、
老朽崩壊した機姫神社を再建し産泰神社との合祀神社とした
旧産泰神社を補修し神札授与所に衣替えした
坂道新設、駐車場整備、石垣補修の外、氏子崇敬者奉納により玉垣新設等、
神社役員、百年祭実行委員の協力により実施、滞りなく完了した
云々。。。



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加茂別雷神社。[佐野市]

佐野市山越町にある「加茂別雷神社」です。

少し行ったところにも「賀茂別雷神社」がありますが、
なにか関係あるのかな?



加茂別雷神社。[佐野市] 加茂別雷神社。[佐野市]

加茂別雷神社。[佐野市] 加茂別雷神社。[佐野市]
(写真はクリックで大きくなります。)

「手水舎」と「神楽殿」、「狛犬」クン。



加茂別雷神社。[佐野市]
「拝殿」。


=== 案内板より ===
御祭神
天児屋根命 別雷命 菅原道真朝臣命
由緒
当神社は人皇五十一代平城天皇の御宇大同2年5月5日
山城国加茂皇大神の分霊を菊水山に勧請し、爾来雷大権と称せり。
降而朱雀天皇天慶三年唐沢山城主田原藤太秀郷公平将門追討するに際し、
本社に戦勝祈誓せしに速に将門誅に伏したり。
因に公の子息藤原千常公に至り、
秀郷公崇敬篤かりし菅公像神体を当社の相殿に斎き奉り、
社領を奉納し近郷十八箇村の総鎮守としたり。



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岩倉神社。[佐野市]

「えんの溜 ふれあいの里」です。
in 佐野市。

こちらの駐車場の片隅に小さな神社さんがあります。



岩倉神社。[佐野市]

岩倉神社。[佐野市]

岩倉神社」です。



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緊急事態宣言、自粛期間の中、
近くの神社さんにお参りに行って来ました。
朝日森天満宮」。

藤姓足利氏、足利家綱さんが大宰府から勧請したと云われる、
菅原道真公をお祀りする神社さんです。


朝日森天満宮。[佐野市]

「鳥居」。


栃木県佐野市天神町 栃木県佐野市天神町 栃木県佐野市天神町
(写真はクリックで大きくなります。)

「参道」と「石碑」。


栃木県佐野市天神町


朝日森天満宮。[佐野市]


栃木県佐野市天神町 朝日森天満宮。[佐野市]

朝日森天満宮。[佐野市] 朝日森天満宮。[佐野市]

「手水舎」と「狛犬」クン。



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