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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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瑠璃光薬師如来尊といろいろ。[山形県米沢市*小野川温泉]

山形県米沢市です。

「林泉寺」に続いてやって参りました、「小野川温泉」。
小野小町さんが発見したという伝説を持つ歴史ある温泉です。
こちらは共同浴場の「尼湯」。
とくかく初めて来たので楽しみです~☆



瑠璃光薬師如来尊といろいろ。[山形県米沢市*小野川温泉]

尼湯の手前にある小さな飲泉所「霊泉 峰の薬師」。

=== 案内板より ===
飲泉のすすめ
小野川の温泉水には、多くのミネラルがイオン化され含まれ、また
病気の主原因と言われる活性酸素を取り除くマイナスイオンが
膨大に含まれています。
云々。。。

口に含んでみると、軽いしょっぱさと硫黄の感じです。
これが小野川温泉なのかー (=゚ω゚)ノ



瑠璃光薬師如来尊といろいろ。[山形県米沢市*小野川温泉]

尼湯の裏に参道があります。
「瑠璃光薬師如来尊」。


瑠璃光薬師如来尊といろいろ。[山形県米沢市*小野川温泉]

=== 案内板より ===
瑠璃光薬師如来尊
小野小町の建立と伝えられる霊験あらたかな湯の神である。
御本尊は峯の薬師を祀ったもので、もと尼湯の傍にあったものを
大正2年(1913)現在地に遷宮した。
子供の無病息災を願ってこけしを奉納する風習がある。
前立薬師如来尊は、享保15年(1730)の開眼で、縁日は4月8日、8月8日。
別当は長栄山金乗院(真言宗豊山派)である。
云々。。。



[小野川温泉のいろいろ。[山形県米沢市]]の続きを読む
春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
「上杉家廟所」に続いてやって参りました、
春日山 林泉寺」です。


=== 案内板より ===
春日山林泉寺
上杉謙信の祖父長尾能景が、父重景の菩提を弔うため、
明応5年(1496)に春日山城に(新潟県上越市)の麓に開基した曹洞宗寺院。
その後、上杉氏と共に会津、米沢に移る。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

上杉家の菩提寺であり、藩主奥方や子女、
上杉支侯家(米沢新田藩主)の廟所の外、直江山城守兼続夫妻の墓や
武田信玄の六男信清の墓(共に県指定の史跡)、長尾家・杉原家・吉江家・
甘粕家など上杉家重臣の墓が数多くある。
斜平山を借景とした庭園は、米沢三名園の1つに数えられている。
云々。。。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

米沢、上杉氏ゆかりの方のお墓があるお寺さんですねー。
では、参りましょう。
こちらは「上杉家廟所」です。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

4代綱勝公室、老中保科正之の娘
「会津夫人媛姫」のお墓。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

鷹山公後室、米職の垂範元祖
「お豊の方」。


=== 案内板より ===
鷹山側室お豊の方の墓
お豊の方は、寛保元年(1741)1月17日、
4代藩主綱憲の六男勝延を父として米沢で生まれました。
明和7年(1770)6月14日、30歳で、10歳年若い鷹山の側室となり直丸(顕孝)・
寛之助の二子をもうけますが、いずれも19歳、2歳と早世しています。
鷹山には、江戸に正室(8代藩主重定の子幸姫)がいましたが、
お豊の方は鷹山のこよなき理解者であり、
その改革を支える内助の功(養蚕の奨励など)が今日なお語り継がれています。
また、お豊の方は詩歌に通じ、麗之の名で歌を残しています。
年ごとに 栄えますらん 国民も 
にぎはふ今日の 君のめぐみに
鷹山とともに領民に敬愛されたお豊の方は、文政4年(1821)12月17日、
81歳で逝去しました。法名、浄鏡院殿真影不空大姉。
鷹山は次のような悼歌を手向けています。
老いぬれば おくれ先だつ 世の中に
心なおきそ 死出の山みち
云々。。。



[春日山 林泉寺。[山形県米沢市]]の続きを読む
蕎麦切り 稲おか。March. 2020、その3 [足利市]

「蕎麦前盛り合わせ」、9点盛りです。

「きんぴらごぼう」、「サバの冷燻製」、「クリームチーズのたまり醤油漬け」、
「お漬物」、「青大豆の浸し豆」、「牡蠣のオイル漬け」、
「玉子焼き」、「鴨ロース」、
そして真ん中に陣取る「しらすおろし」でございます (=゚ω゚)ノ

さぁ、日本酒をチビチビ飲ろう。
〝菊姫〟〝鳳凰美田〟〝鍋島〟etc。。。
どれもオイシイ♪



蕎麦切り 稲おか。March. 2020、その3 [足利市]

手打蕎麦のお店「蕎麦切り 稲おか」さん。
連チャンでございます。
昨日に続いて、それはなぜか?!

常陸秋蕎麦、キタノマシュウ、そしてそして、、、



[蕎麦切り 稲おか。March. 2020、その3 [足利市]]の続きを読む
蕎麦切り 稲おか。[足利市]

手打蕎麦のお店「蕎麦切り 稲おか」さんです。
先日お邪魔したばかりですが、またやって参りました (=゚ω゚)ノ

先ずは「蕎麦湯割り」、
「蕎麦前盛り合わせ」をお願いしました。

「クリームチーズのたまり醤油漬け」、「サバの冷燻製」、「きんぴらごぼう」、
「玉子焼き」、、、



蕎麦切り 稲おか。[足利市]

そして「青大豆の浸し豆」の5点盛り。
ナニゲにとまらないコリコリ大豆。



蕎麦切り 稲おか。[足利市]

お酢の風味の「しらすおろし」。
こちらもお酒に良く合います♪



[蕎麦切り 稲おか。March. 2020、その2 [足利市]]の続きを読む
上杉家廟所。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
前回の続きであります。「上杉家廟所」。

=== 案内板より ===
上杉家廟所
藩祖上杉謙信公の閟宮を中央にして、
その両側に12代までの藩主の廟が並んでいます。
廟は2代から8代までは社造りで、材質もケヤキを用い、柱は丸柱となっています。
9代から12代までの廟は、10代藩主鷹山公の考案による宝形造りで、
材質もスギやヒノキを用い、柱は角柱と簡素になり、藩の財政事情がうかがわれます。
謙信公の遺骸は、甲冑をつけ甕に納められ、
越後春日山(現新潟県上越市)から会津(現福島県会津若松市)を経て
米沢城へ移され、明治9年に現在の場所に移葬されました。
昭和59年(1984年)1月「米沢藩主上杉家墓所」として、国指定史跡となった。
云々。。。



上杉家廟所。[山形県米沢市]
正面にある「謙信公廟所」。

=== もうひとつの案内板より ===
米沢藩主上杉家墓所
歴代の米沢藩主の墓所で、杉木立の中に整然と廟屋が並び、
市民からは御廟所あるいは御霊屋と呼ばれている。
中央正面奥が戦国時代の名将上杉謙信公の廟で、
上杉氏の移封に伴い、越後春日山から会津若松へ、そして1601年、
米沢城本丸へ移された。さらに明治9年にこの地に移葬され、
墓所全体が現在のように整備された。



[上杉家廟所。その2 [山形県米沢市]]の続きを読む
上杉家廟所。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
上杉神社から車で10分くらいのところにある、
上杉家廟所」です。

こちらは廟所手前にある、上杉家歴代藩主の菩提寺の「法音寺」さん。


=== 案内板より ===
善光寺如来(法音寺)
法音字は上杉家歴代藩主の菩提寺で、
秘仏の善光寺如来三尊像と付属の仏具を安置している。
その来歴は、弘治元年(1555)の第2回川中島合戦の際、
上杉謙信は長野善光寺の仏像・仏具を越後に持ち帰り、
その後上杉家の移封に伴って米沢に移った。


上杉家廟所。[山形県米沢市]

米沢城本丸の謙信遺骸を祀る御堂に安置され、維新後は上杉家で所持、
昭和9年に上杉家から法音寺に納められた。
仏具の金銅五鈷鈴(2個)や金銅五鈷杵には、貞応3年(1224)、
仁治2年(1241)といった鎌倉時代の年号や「善光寺」の銘が刻まれ、
金銅舎利塔(鎌倉時代の作と推定)と共に山形県文化財に指定されている。
云々。。。


11のお寺さんから成る能化衆というのがあったらしいですが、
後で調べてみたいですネ。
それでは。。。



上杉家廟所。[山形県米沢市]

正面の冠木門をくぐって、
ではでは参りましょう。



[上杉家廟所。[山形県米沢市]]の続きを読む
夕鳥。[足利市]

しっぽりと日が暮れて、ほっこりと飲りたくなる。
そんな今夜だから「夕鳥」さんに行こう。
in 足利市。



夕鳥。[足利市]

入口に近いカウンター席に陣取ります。
先ずは瓶ビール、お通しは「キュウリとしらす」。
冷えたビールのひと口目にやられてしまおう!



夕鳥。[足利市]

そして「とんそく」をお願いします。
とんそくは酢味噌or醤油が選べますが、
もちろん醤油ですよね?
好きデス、とんそく。。。


[夕鳥。[足利市]]の続きを読む
上杉神社。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
上杉神社」の続きです★

米沢城跡に建つ上杉神社さんの境内には、
お城であった頃の足跡があちこちに残っています。



上杉神社。[山形県米沢市]

先ずは「米沢城下絵図」から。


===
米沢城
伊達氏・上杉氏の居城で、松岬城・舞鶴城とも呼ばれる。
米沢城の起源は、鎌倉時代に地頭・長井時広が居館を置いたと伝えられる。
その後、長井氏に替わり伊達氏が置賜地方を領し、天文17年(1548)には
伊達晴宗が本拠を米沢に移し、輝宗・政宗の3代で米沢城下が整備された。

天正19年(1591)、政宗は豊臣秀吉の命で岩出山城に移り、
米沢城には蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入るが、
慶長3年(1598)に上杉景勝が会津120万石に入封、
米沢城には重臣・直江兼続が配された。
慶長6年(1601)、前年の関ヶ原の戦いで西軍方についた上杉景勝が
米沢30万石に減封され米沢城に入城、城下の拡張整備に着手した。
以後、寛文4年(1664)に後継問題で米沢藩は15万石となるが、
米沢城は約270年間にわたり上杉氏13代の居城として明治維新を迎えた。

城郭は平城で、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式の縄張りで、
三の丸の東側には町人町・職人町が置かれた。
本丸の中央は藩主の住む御殿があり、
南東隅の高台には上杉謙信の遺骸を祀る御堂が建ち、
北東と北西の隅には三層の隅櫓があった。
明治になって御殿や隅櫓は取り壊され、
本丸跡は松が岬公園と上杉謙信を祭る上杉神社になる。
堀と土塁が往時を偲ばせ、堀の周囲には桜の木が並び桜の名所ともなっている。
云々。。。



上杉神社。[山形県米沢市]

こちらの石段を上った先の高台には、
「上杉謙信公祠堂跡」があります。


上杉神社。[山形県米沢市]

===
上杉謙信祠堂(御堂)跡
江戸時代、上杉謙信の遺骸を安置した御堂(祠堂)が建っていた場所である。
謙信は天正6年(1578)3月13日、越後春日山城で逝去、享年49であった。
その遺骸は甲冑を着せ甕に納め、漆で密閉したと言われている。
その後、謙信の跡を継いだ上杉景勝が会津120万石、
米沢30万石に移封されるに伴い、謙信の遺骸も移され、
米沢城南東隅のこの地に御堂を建て安置した。
謙信遺骸の左右には善光寺如来と泥足毘沙門像が置かれ、
その後は歴代藩主の位牌も祀り、最も神聖な場所として厳重かつ鄭重に祀られた。
明治4年の廃藩に際し、仏式を改め神式とし、
謙信は上杉神社の祭神として祭られる。
謙信の遺骸は、同9年に歴代藩主が眠る御廟所(上杉家墓所)に移された。
云々。。。


以前会津の鶴ヶ城に行った時の「上杉謙信公仮廟所跡」の記事はこちらから。
鶴ヶ城に行ってきました!  ★会津若松市



上杉神社。[山形県米沢市]

そして御堂跡の隣に建つ「招魂碑」です。

===
招魂碑
この招魂碑は、慶応4年(1868)に始まった戊辰戦争で、
主に新潟方面で西軍と激戦の末に戦死した米沢藩士280余名と、
明治10年(1877)におこった西南戦争の戦死者52名を慰霊するために、
明治11年4月に建てられました。
その後、日清・日露戦争で戦死した将兵の霊も合祀されています。

この場所は、米沢城本丸の東南隅にあたり、
藩祖上杉謙信公の遺骸を安置した御堂があったところです。
毎年2月に開催される雪灯篭まつりの鎮魂祭は、この地で執り行われます。
碑は、凝灰岩で高さ約3.4メートル、総高約5.8メートル。
碑名は、戊辰戦争に従軍して参謀を努めた斎藤篤信
(後の山形県師範学校初代校長)が、
稲穂の芯を束ねた特製の大筆で書いたものです。
云々。。。



[上杉神社。その2 [山形県米沢市]]の続きを読む
上杉神社。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
いよいよやって参りました、本日のメインイベントっ。
上杉神社」です!

おそらく相当昔に来たことがあるんです。
まだブログをやっていなかった頃。。。



上杉神社。[山形県米沢市]

米沢城の跡に建つ神社さん。
お城だった頃の名残をあちこちに留めています。


=== 案内板より ===
舞鶴橋
米沢城本丸跡の堀に架かるアーチ式の石橋で、
上杉神社の参道として明治19年(1886)に完成した。
江戸時代は米沢城の正面にあたり、木製の太鼓橋が架けられていた。
舞鶴橋の名称は米沢城の別称「舞鶴城」に由来する。
平成10年に国の登録有形文化財に指定された。
云々。。。



上杉神社。[山形県米沢市]

「一の鳥居」と、



上杉神社。[山形県米沢市]

「二の鳥居」。



上杉神社。[山形県米沢市]

そして「神門」。



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松岬神社。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
上杉神社の参道沿いにある「松岬神社」です。



松岬神社。[山形県米沢市]

「手水舎」。


松岬神社。[山形県米沢市]

「二の鳥居」。



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蕎麦切り 稲おか。[足利市]

今夜のディナーは「蕎麦切り 稲おか」さんにて。
in 足利市。

カウンター席へ陣取ります。
ほろ酔いセットなるメニューがありましたので、
先ずはそちらを。
蕎麦焼酎の「蕎麦湯割り」とオツマミ3点のセットメニューです。



蕎麦切り 稲おか。[足利市]

奥の深い味わいの「クリームチーズたまり漬け」と
「サバの冷燻製」。
もうこれだけで2杯はイケますネ、ハイ。
蕎麦湯割りの後には日本酒をいただきましたデス、ハイ (=゚ω゚)ノ



[蕎麦切り 稲おか。March. 2020 [足利市]]の続きを読む
上杉鷹山と草木塔。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
上杉神社の参道沿いにあります、「上杉鷹山公の像」です。
剃髪された晩年?の姿のものですネ。


=== 案内板より ===
上杉鷹山公
上杉家10代上杉鷹山公は、困窮、崩壊寸前の藩を復興させた
江戸時代随一の名君として知られる。
14歳の時から、折衷学派の儒者細井平洲に師事し
17歳で藩主となるや、大倹令・産業開発・藩校興譲館の創設・
網紀の粛正などを断行する。
凶作にも備え、城下や村々の蔵にもみを備蓄し、
天明の飢饉には領民に配り1人の餓死者も出さなかったと伝えられる。
11代治広公に家督を譲るとき民主主義の原点を示した「伝国の辞」を与えた。
米国第35代大統領ジョン・F・ケネディは政治家で最も尊敬する人は、
上杉鷹山公であると述懐したことはあまりにも有名である。

なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり
は、万事についての可能性を示す遺訓である。
云々。。。



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上杉博物館と上杉記念館。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
前田慶次さんの屋敷跡「無苦庵」に続いてやって参りました、
上杉博物館」であります。



上杉博物館と上杉記念館。[山形県米沢市]

米沢の歴史、風土がテンコ盛り★
上杉家ゆかりのお宝も拝見できる博物館♪
ご多分に漏れず、撮影できる場所は限られてしまうのですが、、、


上杉博物館と上杉記念館。[山形県米沢市] 上杉博物館と上杉記念館。[山形県米沢市]

上杉博物館と上杉記念館。[山形県米沢市] 上杉博物館と上杉記念館。[山形県米沢市]
(写真はクリックで大きくなります。)

しかししかし、入館料を考えるとヒジョーに充実した内容で
思わず、安いっ!と口に出てしまいましたっ(汗、、、


上杉博物館と上杉記念館。[山形県米沢市]

中でも「洛中洛外図屛風」のコーナー、これはヨカッタ~っ。
日本昔ばなしのアニメーションが進化したような3D映像を駆使し、
ずこく分かりやすく綺麗に紹介されているのです。
必見ですネー★



[上杉博物館と上杉記念館。[山形県米沢市]]の続きを読む
下野薬師寺跡の梅。[下野市]

初めて来てみた「下野薬師寺跡」です。


下野薬師寺跡の梅。[下野市]

良い感じで咲いていた「梅の花」。


下野薬師寺跡の梅。[下野市]

小さくて、可愛らしくて、いいなぁ♪

米沢に行った時の記事をアップし始めたばかりなので、
下野薬師寺跡はもう少し後に書きますー。

とりあえずは、可愛い梅の花に癒されましたー、の巻デス。



以前の梅はこちらから。
天神古墳。[佐波郡玉村町]
古城天満宮。[埼玉県羽生市]
梅林公園。[佐野市]
以前の下野市はこちらから。
平成の丘と防人街道。 [下野市*天平の丘公園]

【下野薬師寺跡】
@栃木県下野市薬師寺

中国料理 粋圓 suien。[足利市]

花粉ただよい、ずいぶんと春めいてきた今日この頃。
今夜のディナーは「中国料理 粋圓 suien」さんにて。
in 足利市。

カウンター席に陣取ります。
先ずは生ビール。粋圓さんちはプレモルの香るエールなんですねー。
やわらかな口当たりで美味しいです。

オツマミに「真鰯の酢漬け」を。エスカベッシュです。
ただの南蛮漬けじゃありませんね~、
なにやらいろいろな旨みが上手に重なり合ってる感じです。
ビールが進みます~。



中国料理 粋圓 suien。[足利市]

続いて「大根と蒸し鶏のさっぱりサラダ」。
シャキシャキとした大根と、しっとりしている蒸し鶏。
ポン酢が良く合っててオイシイっ。
麦焼酎のお湯割りでやっつけよう (=゚ω゚)ノ



[中国料理 粋圓 suien。March. 2019 [足利市]]の続きを読む
無苦庵跡。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
堂森善光寺の「前田慶次供養塔」に続いてやって参りました、
無苦庵跡」ですっ。



無苦庵跡。[山形県米沢市]
「無苦庵跡測量図」。

前田慶次さんが隠居生活を送った、
無苦庵という館があった場所なんですね~ (=゚ω゚)ノ



無苦庵跡。[山形県米沢市]
「明治22年調整字限図」。

=== 案内板より ===
無苦庵跡図
戦国武将として有名な前田慶次が最晩年を過ごした無苦庵跡。
東側に堀、西側に土塁を配した東西109m、南北72mの広さをもつ屋敷跡。
云々。。。



[無苦庵跡。[山形県米沢市]]の続きを読む
前田慶次供養塔。[山形県米沢市*堂森善光寺]

東北道をひとっ走り。山形県米沢市です。
福島県の安達太良SAからここまで、
栗子トンネルが開通したこともあってか、ナニゲに早かったです。

というわけでやって参りました、
堂森善光寺」でありますっ。


=== 案内板より ===
堂森善光寺
真言宗豊山派の寺院で山号は松心山。
大同2年(807)の開基、建久3年(1192)に長田将次の妹
益王姫が中興したと伝えるが、数度の火災で古記録が焼失し
由緒は定かではない。



前田慶次供養塔。[山形県米沢市*堂森善光寺]
「仁王門」。

見返り阿弥陀如来(県指定文化財)は、
益王姫を救うため振り返った姿になったという伝説が残る。
また、置賜郡の地頭・長井氏の創建ともいい、
伝 長井時広夫婦座像(県指定文化財)を所蔵している。
中世期には、当寺において大般若経の写経事業が行なわれ、
その一部が山形市の立石寺(山寺)に残っている。
その奥書から、延文2年(1357)頃に出羽国長井荘堂森今善光寺の僧・
本聖仁光が中心となり、各地の僧の協力を得て
大事業が遂行されたことが知られる。
境内の阿弥陀堂は寛延3年(1750)の再建、
寺名の由来となる善光寺三尊像と見返り阿弥陀を安置した。
また、本堂と阿弥陀堂の奥には前田慶次郎供養塔が建ち、
多くの参拝者が訪れる。
傾奇者として著名な前田慶次は、晩年は堂森で悠々自適の生活をおくり、
慶長17年(1612)6月4日に死去したと伝えられる。
堂森の里人と親交した慶次を偲び、昭和55年に建立されたものである。
云々。。。



前田慶次供養塔。[山形県米沢市*堂森善光寺]
「阿弥陀堂」。

===
善光寺 木造阿弥陀如来立像 木造伝長井時広夫婦坐像
木造阿弥陀如来立像は檜材の寄木造り、高さ50.8センチメートルの漆箔の立像で
鎌倉後期の作である。造りは彫眼、螺髪切付、肉髻珠水晶。
左下方を見下ろす姿勢で立つ貴重な仏像で「見返りの弥陀」ともいわれる。
往生者を迎えて極楽浄土に導く際に、
後ろについて来ているかを確かめるためにふり向いた姿の、
あでやかで美しい像である。

木造伝長井時広夫婦坐像は室町時代の作で、欅の一木造りで彩色があり、
整った衣冠姿の像は当地方としては珍しい作品である。
長井時広は鎌倉時代の重臣、大江広元の二男で置賜郡長井氏の始祖となり、
兄親広は寒河江庄を領した。
ともに鎌倉三代将軍実朝の頃の人で「吾妻鏡」という書物に見える。
云々。。。


という歴史あるお寺さんであります。
そしてもうひとつ。
今回のお目当てがこちら。



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