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2019/051234567891011121314151617181920212223242526272829302019/07

若田原遺跡群。[高崎市]

高崎市です。
剣崎西長瀞西古墳に続いてやって参りました、
若田原遺跡群」です。

縄文時代の住居跡と古墳が3つありました。
霊園の中にある遺跡群であります。


=== 案内板より ===
若田原遺跡群
八幡霊園は昭和44年に造成が開始され今に至っている。
このうち昭和45年から昭和47年にかけて発掘調査された遺跡は
縄文時代住居跡22、古墳5、古墳時代の住居跡2、奈良時代住居跡1等であった。
これにより、この地区には縄文時代中期(約4000年前)の拠点的大集落の存在と、
古墳時代には多数の古墳築造と住居跡が営まれていたことが明らかになった。
保存されている縄文時代住居跡3、古墳3、古墳時代住居跡1の遺跡群を
若田原遺跡群とよんでいる。
このうち、縄文時代の敷石住居跡と、若田大塚・楢ノ木塚古墳・峯林古墳は
当時の状態をとどめているが、他は土をかぶされて保存されている。
云々。。。



若田原遺跡群。[高崎市]

===
碓氷川と烏川にはさまれた台地上には、多数の古墳が分布している。
若田大塚古墳は、これらの中で最も大きな円墳の1つであり、
直径は29.5メートル、高さは7.5メートルを計測する。
墳丘は基壇を持つ2段築成で葺石が見られ、
朝顔型埴輪を含む円筒埴輪列が巡っていた。
主体部は横穴式石室のように基壇上に構築されている。
石室の石積は自然石の乱積で、床には径5~8センチメートルの玉石が
厚さ15センチメートル程度に敷きつめられていた。


若田原遺跡群。[高崎市]
古墳の上部


明治15年地元より県へ発掘届が提出された。
発掘品目録には「槍1、銕片1、鏡1、蝋石19、鏃片23、鍔 8、鞘片1、刀折小片、
甲1、銕釣1」と記されている。
これらのうち、鉄製の矛は現存長42.7センチメートル、身幅4.4センチメートルで、
断面は菱形を呈する。


若田原遺跡群。[高崎市]

また、盗掘坑に残されていた鉄槍は現存長で22.3センチメートルあり、
その一部が銅製金張りの精巧な作りとなっている。
横矧板鋲留式短甲は前胴の高さ32.2センチメートル、
後胴の高さ43.8センチメートルである。


若田原遺跡群。[高崎市]

古墳が築造された時期は、埴輪や副葬品の種類などから、
群馬県に横穴式石室が多く造られるようになった6世紀初頭であると考えられる。
云々。。。


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