「第103回足利花火大会」。
明治36年(1903)に始まってから今年でなんと114年!
第103回目を迎える足利の花火大会です!
すごいですっ、103回目ですょー!
8月5日(土)の夜7時打上開始。
さぁ、みんなで行ってみよーっ。
103回目!
詳しくはこちらから。
◇ 足利商工会議所ホームページ http://www.ashikaga.info/
以前の足利花火大会はこちらから。
○ 足利花火大会。2016 [足利市]
【第103回 足利花火大会】
@栃木県足利市伊勢南町
今年もこの季節がやって参りました!
「桐生八木節まつり」♪
「みこし宵の出御(祇園)」は前日の3日(木)20:00~。
今年は美和神社~本町2丁目へ。
桐生人のお祭りにかける情熱はハンパないぞっ!
第54回八木節まつりは、
8月4日(金)、5日(土)、6日(日)の開催!
他にも市内各所でいろいろなイベントが催されますョ。
さぁ、皆で行ってみよーっ!\(^o^)/
詳しくはこちらから。
◇ 桐生八木節まつり2017 http://kiryu-maturi.net/
以前の記事はこちらから。
○ 「桐生八木節まつり」に行って来ました!2016 [桐生市]
【桐生八木節まつり】
@群馬県桐生市本町5丁目(粋翔大やぐら)
高良大社に続いてやって参りました!
「特別史跡 大宰府跡」。
2011年4月以来、2回目の訪問です。
=== 案内板より ===
特別史跡 大宰府跡
古代、西海道と呼ばれた九州一円を統轄していた大宰府は
外交・貿易などの対外交渉の窓口として重要な任務を課せられていた。
その機構は中央政府に準じ、
地方機関としては最大規模の行政組織を有していた。
発掘調査によると、7世紀後半に掘立柱建物が建てられ、
8世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備される。
この建物は藤原純友の乱によって焼き打ちされたが、
10世紀後半には立派に再建された。
現在見ることのできる礎石は、この再建期のもので、
左上図は発掘調査の成果をもとにして復元したものである。
これらの建物は藤原道真が「都府の楼はわずかに瓦の色を看る」と
うたっているように壮大なもので、
当時としては中央の都の建物にも劣らぬものであった。
正殿は重層風につくられ、
屋根は入母屋ないしは寄棟造りであったと思われる。
このような政庁を中心にして周囲は、数多くの役所が配置され、
その規模は平城・平安の都に次ぐ「天下の一都会」であった。
云々。。。
キンキンに冷えたスパークリングワインが美味しいっ。
爽やかな印象のドライです。
ひと口目でホント生き返りました~★
太田市の「grandir グランディール」さんにお邪魔しています。
「アサリの白ワイン蒸し」。
プリプリのアサリ、
美味しいスープも見逃してはいけませんっ。
「キャベツとアンチョビのサラダ」。
こだわり農家さんの無農薬野菜を使っているグランディールさん。
キャベツもジューシーで甘みがあります。
アンチョビのアクセントが効いたあったかいサラダです。
「イワシの香草パン粉焼」。
鰯フリークの方にはたまらない一品ではないかな?
サクサクでホクホク♪
レモンをたっぷり絞ってやっつけましょう♪♪
スパークリングの後は、辛口の白ワインを。
ほのかに白桃の香りのするシャープな辛口です♪
社号が記された大きな灯篭。
いよいよやって参りました、筑後国一の宮。
「高良大社」でありますっ!
信号右折するとここからが参道でしょうか。
「一の鳥居」である石造の大鳥居が出迎えてくれます。
=== 案内板より ===
大鳥居
鳥居の語源には諸説があり、はっきりしませんが、
一般には神社の門であると言われています。
この大鳥居は、高良大社の一の鳥居で、高さ6.81m、柱間4.5mで、
花崗岩製の典型的な大型の明神鳥居です。
現在の鳥居は、承応4年(1655)に久留米藩二代藩主有馬忠頼の寄進によって、
建立されたものです。
石材は竹野郡石垣村(現浮羽郡田主丸町)の花崗岩を切りだし、
藩内の15才から60才までの男子延べ10万人によって、耳納山地の山裾を
運ばれました。
額字は、徳川将軍家の菩提所である東京上野寛永寺の
門主の筆によるもので、安永2年(1773)七代藩主有馬頼徸の
寄進によるものです。
云々。。。
少し進んで「二の鳥居」。
ここからの石段を進めば、徒歩で境内まで行くことが出来ます。
じっくりと攻めたい方はぜひ。
案内板もありました。
===
高良大社
筑後一の宮。延喜式内名神大社。旧国幣大社。
社地は高良山の西の山腹にあたり、「神籠石」の列石が周囲を囲んでいる。
祭神は高良玉垂命、八幡大神、住吉大神。履中天皇元年(400)の創建と伝わる。
延歴14年(795)に従五位下に叙されてから、事あるごとに神階を進め、
弘仁9年(818)名神に列し、寛平9年(897)には正一位を授けられた。
山下の石造り大鳥居は、承応4年(1655)二代藩主有馬忠頼公の寄進。
本殿・幣殿・拝殿は万治3年(1660)三代藩主有馬頼利公の寄進で、
社殿の絵本墨書平家物語(覚一本)と共に国の重要文化財。
高良大社文書十巻一冊、絹本著色高良大社縁起(画縁起)二幅は県指定文化財。
社有地のほとんどは「史跡高良山神籠石」として国の史跡指定を受けている。
云々。。。
おおーっ。〝神籠石〟ですかっ (=゚ω゚)ノ
以前の神籠石はこちらから↓
○ 帯隈山神籠石。[佐賀県佐賀市]
久々にお邪魔しています、
「日本酒バル むくの木」さんです。
金沢料理と日本酒が楽しめるお店~。
in 足利市ダヨ。
カウンターの一番左の席。さぁさぁ、始めよう。
お通しは「ハマグリのお吸い物」です。
汁モノのお通しって好きだなー。
冷たい夏のお酒に温かいスープがとても合うし、楽ちん(笑
初っパナのハイボールをやっつけた後は、
麦焼酎のロックに、ちょい水足しです。
ゆっくりゆっくりと氷が溶けていくのですが、
この溶け始めが美味しい~。
(写真はクリックで大きくなります。)
カウンター正面にある大きなテレビ。
そこに流れているのは〝シロクマ vs セイウチ〟の映像。
セイウチは危険を感じ。。。
ガオーッ!!、みたいな。
最後はシロクマの方が逃げちゃうんですけど、
ついつい見入ってしまった。。。
マスターはセイウチ好き?(笑
福岡県久留米市です。
大きな「一ノ鳥居」が建ちます。
菅原道真公をお祀りした「北野天満宮」の参道であります。
(写真はクリックで大きくなります。)
境内の入り口の「二ノ鳥居」と、「道標」。
古そうな道標ですが、江戸時代のものでしょうか?
池にかかる朱色の「神橋」。
「三ノ鳥居」です。
=== 案内板より ===
石造鳥居
この鳥居は、「肥前鳥居」と呼ばれ、慶長年間(1596~1614年)
につくられたものが多いため、「慶長鳥居」とも呼ばれます。
笠木の長さは5.35m、高さは4.01m、地面での両柱の間隔は2.5mを測り、
凝灰岩を削ってつくられています。
銘文から慶長12(1607)年の年号を読み取ることができたので、
江戸時代のはじめにつくられたことがわかります。
最初は下宮へ下る参道の途中に建っていましたが、
昭和のはじめ頃に現在の場所へ移されました。
云々。。。
群馬県沼田市です。
ベイシアの先を左折するとすぐです。
「塩原太助 愛馬別れの松」。
標柱には〝正縁塚・一本松〟と記されています。
もう一つ「塩原太助愛馬別れの松」の石碑が建ちます。
=== 案内板より ===
塩原太助 愛馬別れの松
昔を偲ぶ利根の花千代も散らまし経済の鏡と謳はれ香りつゝ
今に残りし名の誉れ塩原太助深愛の馬を繋ぎし一つ松
哀れを茲に残しけるせつなに絡む松の情附したる涙打佛ひ
老松高く仰ぎつゝ男児の固きこころざし初めて樹ちし
霊松の風清らかになびくなり老松より人傑出し事ぞある畏れ多くも
道眞は梅花と別れ惜み楠公も近江の藤樹其の他にも秀才出し例しなど
算ふるいとまなしかゝる霊松も齢ぞ来る過る慶応年間に風雨の為に倒れ
枯れ然れどもその後数十本小松生じしが何時となく只一本残りしは
一本松の名稱の盡せぬことこそ芽出度ける嗚呼尊しの山川老樹
嗚呼貴人のこころ
云々。。。
文章が難しくて良く分かりませんっ(汗、、、
簡単な屋根がついて保護されいましたが、
実際の松は枯れていて、根っこだけになっていました。
百頭町「神明宮」へ向かう途中、
道を間違えて走っていたら「厳島神社」がありました。
建物がひとつだけの小さな神社さん。
弁財天、とあります。
せっかくなのでパチリ。
手前にあった石碑。
昭和31年、弁天宮に40坪の社地を奉納、と記されていました★
以前の厳島神社はこちらから。
○ 名草厳島神社。[足利市]
○ 厳島神社と戸ノ口堰洞窟 ★会津若松市
【厳島神社】
@栃木県足利市百頭町
足利市にある「神明宮」です。
市内にいくつかある中の
百頭町にある神明宮。
しかし百頭(ももがしら)とはユニークな町名です。
何かの本で、隣の県(あがた)町との関連を読んだことがありますが、
歴史が深そうです。
参道正面に「拝殿」。
右手に「ご神木」があります。
=== 案内より ===
百頭神明宮神社御神木
一、学名、 梛(なぎ) マキ科常緑樹
和歌山県熊野三山の速玉大社の御神木で千年余の樹齢を誇る
椥の大樹の種から平成22年5月に発芽した幼木です。
平成28年4月10日神明宮維持管理委員会の承認を経て
百頭の平安を祈願し現在地に移植されました。
椥の葉には葉脈が縦方向にしかありません。横に裂く事が難しく
その事から弁慶のチカラシバと呼ばれ、又、男女の結びつきの強さの象徴として
花嫁が鏡の裏に忍ばせ嫁いだと言われています。
又、源頼朝と政子夫婦もお互に椥の葉を御守りしたそうです。
そして藤原定家も詠んでいます。
「千早ふる熊野の宮の椥の葉を変わらぬ千代の試しにぞ祈る」
鎮守の守り人より
云々。。。
嬉野市から佐賀市までひとっ走り。
そろそろ日が傾く時間であります。
これから友人と待ち合わせての会食。
ちょっと早いディナーは、「料理屋 きりん」さんにやって参りました。
奥の個室に通されました。
地元でも人気のお店と聞いたので楽しみ~。
先ずはグラス生ビール。
お通しは「ポテサラ」。
コリコリと心地よい食感のする鶏の軟骨入りであります。
そして、こちらのお店のおススメメニュー、
「特選タンしゃぶ鍋」をお願いしました!
最初に、「ポン酢」と「薬味」などのスターター3点が登場。
さらに、「ざる豆腐」と「マロニーちゃん」が到着。
ビールの後は佐賀の地酒「鍋島」を楽しみます。
どんっ。
ずらり並んだこれぞ「牛タン」っ! (=゚ω゚)ノ
なんだか、来て良かった~と、しみじみ(笑