ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。
九・一そば、第一立花。[足利市]

今日は大晦日。
例年ですと忘年会の記事で〆るのですが、
今年は何やら皆忙しく、日を改めて新年会で会おうということになりました★
というわけで、2016年トリはお蕎麦屋さんの記事です♪
2017年の干支も酉(トリ)です。。。(汗、、、


「もつ煮」をいただき、そして熱燗。
激しく冷え込んでいる今日、
あったかいこの2つが心に沁みてきます。


九・一そば、第一立花。[足利市]

前回から思いつづけていた「第一立花」さんの「生粉打ちそば」。
願ったり叶ったりで、本日の初挑戦となりました★

すでに気持ちが入ってますから、
お蕎麦が運ばれてきた瞬間からウレシイっ。
おぉ~、これが生粉打ち。。。


[九・一そば、第一立花。December.2016 [足利市]]の続きを読む
じゅん亭。[太田市]

昨日に続いて「じゅん亭」さんです。

いつものカウンター、右寄りの席。
例によって例の如く、先ずは「ハイボール」です。
初めにグイグイグイぃ~、と。
そして又
ひと口、ふた口、やっつけたところで前菜が登場します。


じゅん亭。[太田市]

「先付け」。
銀杏、バイ貝、かき菜、金柑、卵焼き。
こっち側からは見えないけど、卵焼きにはシラスの入っていたりして、
相変わらず手が込んでいます☆


じゅん亭。[太田市] じゅん亭。[太田市] じゅん亭。[太田市]

ハイボールの後は麦焼酎のソーダ割り。~のお湯割り。

「今日はコレ行きましょう!」って、
マスターが見せてくれた金目の頭。
大きいっ(汗、、、
正に〝大金目〟です。

これかぁ~。。。


じゅん亭。[太田市]

ワサビ、お醤油、お塩がセットされ、
先ずは「クエ」。和歌山県産だそう。
鍋物がオススメと良く聞くクエですが、
お刺身でも程よく脂がのっていて美味しいです♪


[じゅん亭 2。December.2016 [太田市]]の続きを読む
じゅん亭。[太田市]

少し前なのですが、
晩秋の頃にお邪魔しました、太田市の「じゅん亭」さんです。
個人的にもお気に入りの、美味しい和食屋さん♪


じゅん亭。[太田市]

ハイボールをくいぃ~、と飲りながらの、
虫かごに盛り付けられた色とりどりの前菜たち。
柿の白和え、栗と茶素麺、海老しんじょう、うずら、etc。


じゅん亭。[太田市]

大きく広げられたお皿は、
お魚たちのためのステージ!

しっとりとした美味しさの「小豆ハタ」。


じゅん亭。[太田市]

「鰤」。
脂ののった鰤はカラシ醤油で。


じゅん亭。[太田市]

ウニュウニュと跳ねるような食感と甘味のある
「アオリイカ」。


[じゅん亭。December.2016 [太田市]]の続きを読む
石田堤。[埼玉県行田市~鴻巣市]

前回に続いての「石田堤」であります。


=== 案内板より ===
県指定史跡 石田堤
この堤は、天正18年(1590年)6月、石田三成によって忍城水攻めのために
築かれたことから、石田堤と呼ばれています。
天正18年3月に始まる、豊臣秀吉の関東平定に伴い、北條氏に味方する、
成田氏の拠城である忍城は、同年6月、石田三成、大谷吉隆、
長東正家らによって、包囲されてしまいます。
石田三成らは、地形を見て、忍城を水攻めすることにし、
全長28キロメートルに及ぶ堤を、わずか1週間で作り上げたと言われています。
実際には、自然堤防や微高地を、巧みにつなぎ合わせたものと思われ、
現在残っているこの堤も、自然堤防上に、1~2メートル程盛土をしたものです。

こうして堤が完成し、利根・荒川の水を引き入れたのですが、地形的に、
城や城下町より、下忍・堤根方面に水が溜まってしまい、
遂には堤が決壊して、水攻めは失敗に終わります。
しかし北条氏の降伏により、忍城は遂に開城するのです。

今日では、ここ堤根に約250メートルの堤を、残すのみですが、江戸時代、
日光裏街道沿いに植えられた、樹齢300年余の松や檜葉が並ぶ様は、
往時をしのばせる、貴重なものと言えましょう。
云々。。。


石田堤。[埼玉県行田市~鴻巣市] 石田堤。[埼玉県行田市~鴻巣市]

===
土木遺産「堀切橋」
埼玉県内で8ヵ所目の土木学会選奨土木遺産となる「堀切橋」は、
親柱頂部に尖頭半球が施され高欄は三角形等の空間がある。
これらの表面に幾何学模様が刻まれており、野外アート風の橋である
貴重な土木遺産であることが評価され、認定されたものです。

なお、堀切橋の名前は、戦国時代に石田三成が忍城を水攻めにした際、
この付近で石田堤が破堤したことが由来とされている。
云々。。。


石田堤。[埼玉県行田市~鴻巣市]

こちらは鴻巣市、
石田堤史跡公園にある「シンボルモニュメント」です。
高架下にあるこのモニュメントの下に入ると、
自動で石田堤の様子を説明してくれるガイダンスが流れます。
石田堤の初心者にもバッチリな優れモノ☆


[石田堤史跡公園。[埼玉県鴻巣市]]の続きを読む
蕎麦 貴石。kishaku [太田市]

映画のセットを想わせるような、
なんとも特異な外観です。
太田市にあるお蕎麦屋さん「蕎麦 貴石」さん。
以前より来てみたかったお店のひとつであります♪


蕎麦 貴石。kishaku [太田市]

お店に着いたのはお昼前でしたが、
ほぼ満席。人気ですねー。
ひとつ空いていたテーブル席に陣取ります。

さっそく熱燗をいただきましょう。
地元太田市の〝群馬泉・山廃本醸造〟。
独特の深い味わいのあるお酒です。


蕎麦 貴石。kishaku [太田市]

「出汁巻き卵焼き」をオツマミに。
お蕎麦の前に、お銚子を2つほどいただきました★

お酒をいっそう美味しくしてくれる、ふわっふわっの卵焼きです。
シンプルだけど、どことなく上品なお味。


[蕎麦 貴石。kishaku [太田市]]の続きを読む
石田堤。[埼玉県行田市~鴻巣市]

豊臣秀吉さんの小田原征伐に関連する史跡。
埼玉県行田市にある「石田堤」です。
お城を囲む土塁のような、盛り上がった土盛りがそれであります。


=== 案内板より ===
石田堤
石田堤は、天正18年(1590)6月に石田三成率いる豊臣秀吉軍が
忍城水攻めの際に築いた堤で、後世になって“石田堤”と呼ばれるようになりました。
残念ながら現在堤は断片的に残るだけで、ここ行田市堤根の旧館林道沿いに残る
282mが、埼玉県指定史跡に指定されています。
まだ、忍川対岸の鴻巣市袋に残る300m程が鴻巣市指定史跡に指定されて、
石田堤史跡公園として整備されています。
それ以外にも行田市堤根地区ほかに点々と堤が残っています。


石田堤。[埼玉県行田市~鴻巣市]

石田堤の全体像については、大正2年(1913)に地元の郷土史家清水雪翁が、
実地踏査を行ない、地形や言い伝えから約14kmの堤を推定復元しています。
清水の説以外に、全長を28kmとする説や、堤は長大だったが、元荒川などの
河川の自然堤防を利用して築堤工事が行われ、実際に秀吉軍が築いたのは
4km程度だったとする説もあります。

石田堤については、行田市堤根と鴻巣市袋の計3地点で発掘調査が
行われていますが、3地点それぞれで堤の構築状況が異なっており、
地点ごとに地形に合わせた構築方法が採られていたものと推測されます。
また、発掘調査では2地点で堤の中から埴輪や土器などの破片が出土しており、
三成はこの地域に点在していた古墳を取り崩し、その土などを利用して
自然堤防を補強して繋ぎ、短期間で堤を築いていったと推測されます。
一説には三成は堤をわずか5日間で築いたとも言われていますが、
当時の記録から、忍城攻めが始まって約1ヶ月後の7月前半にも、
堤の補強等が行われていたことが伺えます。
突貫工事で築いた堤を、水攻めにしながら補強していたようです。


石田堤。[埼玉県行田市~鴻巣市]

このようにして築かれた堤に、荒川等から水を引き入れて
忍城水攻めが行われたようですが、水攻めの最中にも忍城周辺で
戦闘が行われた記録があることから、水攻めはさほど忍城に直接的なダメージを
与えられなかったようです。
それは地形的な要因から、引き入れた水が忍城付近ではなく、南側の堤根方面に
溜まってしまったからではないかと考えられています。


石田堤。[埼玉県行田市~鴻巣市]

水攻めに耐えていた忍城も、小田原城開城後の7月14日に開城し、
堤としての役割を終えた石田堤は、その後次第に取り崩されて
姿を消して行きました。
それを憂いた幕末の堤根村の名主増田五左衛門は、慶応2年(1866)に
石田堤の由緒を記した石田堤碑を建立し、堤を後世に残そうとしました。
その後地域で石田堤保存の活動が始まり、
地元堤根自治会で「石田堤を守る会」が結成されて、現在堤の除草・
清掃等の保存活動を行っています。
云々。。。


[石田堤歴史の広場。[埼玉県行田市]]の続きを読む
Au Petit Bouchon オープティ ブション。[足利市]

足利市にある「Au Petit Bouchon」さん。
ビストロ、西洋料理のお店です。

時々お邪魔しますが、
記事にするのは久しぶりかも。


Au Petit Bouchon オープティ ブション。[足利市]

今夜は友人のNクンと♪
奥のテーブル席です。

先ずはバーボンハイボール、そして白ワイン。
お通しは「きのこのエ​ス​カ​ベ​ッ​シ​ュ」。
​洋​風​の​南​蛮​漬​け​で​す​。


Au Petit Bouchon オープティ ブション。[足利市]

「ほうれん草のサラダ」。
まるでポパイにでもなったようにパクパク行きます。
チーズと胡椒の簡単な味付けですが、とてもオイシイ。

ワインも一撃必殺。
2本目は赤ワインで♪


[Au Petit Bouchon オープティ ブション。December.2016 [足利市]]の続きを読む
並木藪蕎麦 堀江店。[足利市]

並木藪蕎麦 堀江店」さんです。
最近、お蕎麦が食べたい病になっておりまして、
久しぶりの再訪となりました。
in 足利市。


並木藪蕎麦 堀江店。[足利市]

熱燗をひとつ付けていただき、
お通しは「冷奴」。
ちょっとお醤油かけ過ぎた (´・_・`)


並木藪蕎麦 堀江店。[足利市]

もうひとつ熱燗。
休日のランチタイムはとても贅沢な昼酒となります(笑
オツマミに「もつ煮」を。

もう1杯イケそうだ(笑


並木藪蕎麦 堀江店。[足利市]

お蕎麦は「もり」です。
この時季だけの新そば♪


[並木藪蕎麦 堀江店。December.2016 [足利市]]の続きを読む
和ダイニング一蔵。[足利市]

足利の通2丁目交差点、みずほ銀行のトコです。
和ダイニング 一蔵」さん。

店内に飾られていたお店の絵。
常連さんが書いたのかな?すごい上手!
雰囲気あって素敵ですネ。


和ダイニング一蔵。[足利市]

というわけで、奥のテーブル席です。
先ずはハイボールから。
お通しは「もつ煮」。七味をふって、
ほっ♪、と温まります。


和ダイニング一蔵。[足利市]

友人のAちゃんが〝美味しいよ~っ〟
と言っていたのを思い出し、「あん肝ポン酢仕立て」を。
おろしポン酢たっぷりでいただきますっ。
やさしくとろける美味しさデス~。


和ダイニング一蔵。[足利市]

「カリカリチーズ焼き」。
お煎餅のようにカリッとした焼き上がり★


[和ダイニング 一蔵。[足利市]]の続きを読む
BAR 猫又屋。[足利市]

足利を代表する観光名所「足利氏宅跡・鑁阿寺」のすぐ近く。
BAR 猫又屋」さんにお邪魔しています。

ダウンライトで落ち着いた空間。
なんとなくカッコをつけたくなってしまう、
大人な時間を演出してくれるBARです。


BAR 猫又屋。[足利市]

カウンター、端の席に陣取ります。
いろいろ迷うのですが、最初はハイボールで。
IWハーパー、バーボンハイボール。
炭酸ガスの心地よい刺激、冷たくて美味しい。


BAR 猫又屋。[足利市]

やわらかいランプの灯りに癒されます~♪
もう一つバーボンかな。〝メーカーズマーク〟。
昔から好きなバーボンの1つ。でもこれは違うんですねー。
「46」という限定バージョン。
焦がしたフレンチオークの板を樽の中に放り込んじゃう造り方。
「46」っていうのは、焦がし具合の番号なのだそうです。

美味しい。


[BAR 猫又屋。December.2016 [足利市]]の続きを読む
巨大わらアート。[行田市*古代蓮の里]

=== 案内板より ===
古代蓮の里・梅林の由来
行田市と友好都市である白河市ではウメを市の花に制定し
白河藩主松平定信公の紋所と同じ梅鉢を市章とするなど、
梅に対し特別な愛着を持っており「史跡 白河の関跡」の
白河関の森公園では梅園を整備し、梅の育成を行っています。

古代蓮の里の梅林へは、白河関の森公園より5本の梅の木が贈られ、
それを移植したものです。
なお、行田市からは友好の証しとして行田蓮(古代蓮)を、
白河市へ贈り市内の南湖公園に移植されました。
云々。。。

というわけでやって参りました、
埼玉県行田市にある「古代蓮の里」です。
蓮の里ですが、梅林もありますっ。


巨大わらアート。[行田市*古代蓮の里]

蓮の開花は夏ですから、今はこんな感じです。


巨大わらアート。[行田市*古代蓮の里]

水鳥の遊ぶ公園。


巨大わらアート。[行田市*古代蓮の里]

とても静かです。


[巨大な わらアート。[行田市*古代蓮の里]]の続きを読む
伝藪塚氏の墓。[太田市]

=== 案内板より ===
伝藪塚氏の墓
大正2年(1913)に東武鉄道桐生線の工事中に、塚の中から発見されたもの。
鎌倉時代の様式をよく表している五輪塔であることから、
新田義重の曽孫、岩松時兼の六男岩松太郎朝兼(藪塚六郎といった)
子の時綱、孫の基綱3代の墓であろうと考えられた。(岡部福蔵氏考察)
(しかしそれを証明するものはない)


伝藪塚氏の墓。[太田市]

五輪塔は、平安後期より、供養塔、墓標などの意味でつくられるようになった。
仏教では、この世を形成する要素として、空、風、火、水、地の5つを考え、
それを形に現したものが、五輪塔である。
云々。。。


[伝藪塚氏の墓。[太田市]]の続きを読む
米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内]

鹿児島空港のフードコートにあるお食事処。
米米麦麦」さんにやって参りました。
黒豚や鶏などの丼もの、郷土料理が楽しめるお店です。

夕方5時から始まる〝だれやめセット〟。
その中から「篤姫セット」をお願いしました。

生ビール(小)が1杯、焼酎が1杯、
それに、お店のお任せオツマミ3品が一緒になった優れモノ。


米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内] 米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内] 米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内]

フライトまでの時間、
芋焼酎のお湯割りをクピクピと飲りながら、
「鶏の炭火焼」、「黒豚串カツ」、「たこ唐揚」、


米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内] 米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内] 米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内]

もう少し飲りながら、
「黒豚串焼き」、「塩ゆで落花生」、「きびなご一味焼き」、
をいただきます★


[米米麦麦 鹿児島空港店。[鹿児島県*鹿児島空港内]]の続きを読む
旬房まんぷく。[足利市]

何度かお邪魔してます、
旬厨まんぷく」さんのランチです。
in 足利市。

いつものように「ご宝美・花コース」をお願いしました。
美味しさと、贅沢な時間が詰まっているセットメニューです。

「生湯葉のサラダ」。


旬房まんぷく。[足利市]

「お刺身」はブリとホタテ。
トップに乗った茸がやさしく香ります。


旬房まんぷく。[足利市]

「揚げ物」。
海老の湯葉包み揚げ、サツマイモ、シイタケ。

前菜、小鉢、お昼の熱燗、グラスビールを楽しみながら、、、


[旬房まんぷく。December.2016 [足利市]]の続きを読む
鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

鹿児島です!
名勝 仙巌園」から見た桜島であります。
本来ならこんな絶景だったに、小雨フル今日。。。


鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

ちょっと残念 (;д;)
でもでも気を取り直して、さぁ参りましょう!
「仙巌園」!


鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

=== 案内板より ===
国指定名勝文化財 仙巌園 通称 磯庭園
島津氏は、12世紀末、源頼朝から島津荘地頭職、
薩摩、大隈、日向3ヶ国の守護職に任命された
惟宗忠久(これむねただひさ)が、島津を名乗ったことにはじまります。

江戸時代になると、島津氏は、琉球の支配も認められ、
72万石の外様大名として南九州を統治し続けました。
磯庭園は、正式名称を仙巌園といい、
万治元年(1658)、19代島津光久が鎌田出雲政近の
大磯下津浜門屋敷を御用地と成し、
御仮屋を建てたのが始まりとされています。


鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

島津藩ではすでに18代島津家久が城山に鶴丸城を建て、
島津氏の居城としており、仙巌園に建てられた御殿は、
島津家の別邸として代々の藩主に受け継がれました。
江戸時代中期、21代吉貴の代には、中国より江南竹が移植され、
曲水の庭が作庭されたと伝わっています。


鹿児島の史跡名勝、仙巌園。

また、27代の斉興の代には、庭地拡張が行われ、
同時に千尋巌、集仙台、筆塚などが造られました。
さらに、廃藩置県後には29代の忠義が移り住み、正門が造られ、
ほぼ現在の形に整えられました。

なお、この仙巌園は、昭和33年(1958)に、
名勝として国の文化財に指定されています。
云々。。。


===
御殿
19代島津光久が屋敷を構えて以来、仙巌園は別邸として
歴代当主に受け継がれました。
しかし明治4(1871)年の廃藩置県で、島津家の人々は鹿児島城(鶴丸城)
からここに移り、明治17(1884)年には御殿の大規模な改築が行われました。
現在は当時の約3分の1の建物が残されており、往時の島津家の暮らしぶりを
物語っています。
云々。。。


[仙巌園 その2。[鹿児島県鹿児島市]]の続きを読む
ぽつり。[太田市]

太田市にある「ぽつり」さん。
お魚がメインの海鮮居酒屋さんです。
何度かご紹介しているので、今回はさらりと。


ぽつり。[太田市]

お通し。
「イカの煮物」。


ぽつり。[太田市]

「お刺身3点盛り」は、
マグロの中トロ、たこに赤貝。


ぽつり。[太田市]

「たこの唐揚げ」。
&ハイボール。


[ぽつり。December.2016 [太田市]]の続きを読む
レストラン 松風軒。[鹿児島県*仙巌園内] レストラン 松風軒。[鹿児島県*仙巌園内]

「仙巌園」です。
園内にあるお食事処でのランチタイム。
レストラン 松風軒」さんにお邪魔しました★


レストラン 松風軒。[鹿児島県*仙巌園内]

お願いしたのは「季節膳」。
ミニデザートとソフトドリンクが付いた優れモノ。

お店のおすすめ、しかも1日限定10食、なんて書かれてるものだから、
ついついたのんでしまいます。
限定って言葉に弱いなぁ(笑


[レストラン 松風軒。[鹿児島県*仙巌園内]]の続きを読む
九・一そば、第一立花。[足利市]

足利にある老舗のお蕎麦屋さんです。
第一立花」さん。
地元の人からは〝九・一そば〟と呼ばれている
有名店です★


九・一そば、第一立花。[足利市]

小上がりに陣取りました。
ふと見上げれば、お蕎麦の云われが額装されています。


=== 紹介文より ===
九・一そばの歴史的背景
当地区は足利発祥の地本町(もとまち)と称し、室町時代に於て
市の開設をみております。
市は八の日(現在の緑町地区)に行なわれ、その後二の日(現在の六・七丁目)
をむかえ、更に三の日(現在の五・六丁目)に開設され、繭・綿糸等の売買が
行なわれ織物の産地として形成づけられておりました。

商売活動は寛文に至って活発となり、天保に及んで混雑が甚だしいため
新田(しんでん)町(現在の通四丁目以東)に市場の設定・日どりの統一を計り
九の日・一の日を定め、九・一の市とされました。


九・一そば、第一立花。[足利市]
メニューに載っていた、大正8年頃のお店の写真。

市は近郷近在より売買人が集り賑わいを見せており、縁起のよいそばも登上
売買人の食事として人気を集めており
「良い縁起・九・一の市の九・一そば」と親しまれたそうです。
云々。。。


そして、明治12年に開業されたのが第一立花さん。
深いです。とても歴史があるんですね。


九・一そば、第一立花。[足利市]

というわけで、感激もひとしお、
「ざるそば」大盛りバージョンをお願いしました。

そば粉十割の生粉打ちそばに挑戦したかったのですが、
限定15食、やはり人気で売り切れでした(涙、、、


[九・一そば、第一立花。[足利市]]の続きを読む
仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

鶴嶺神社に続いてやって参りました。
鹿児島の名称「仙巌園 sengan-en」です。


=== 案内板より ===
大名庭園「仙巌園」と近代化の拠点「集成館」
大名庭園「仙巌園」の魅力
仙巌園は第19代島津光久によって万治元年(1658年)に造られました。
歴代当主の別邸として機能し、雄大な桜島を背景とする庭園や錫門、
御殿、望嶽楼などが大名家の暮らしを今に伝えています。

近代化の拠点「集成館」
幕末の嘉永4年(1851年)に始まった秀英館事業は国を守り
産業を発展させ、日本を強く豊かな国にするためのものでした。
ここには旧集成館機械工場や反射炉跡など、日本近代化の出発点となった
遺産群が残されています。
云々。。。


仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

というわけで、入り口近く、
先ず目を引くのが大きな大砲です。
これぞ「鉄製150ポンド砲」!


=== 案内板より ===
西欧列強が東アジアに進出した19世紀、28代島津斉彬は防衛のために
西洋式の反射炉や熔鉱炉、鑽開台を建設し、鉄製大砲を建設しました。
斉彬の側近、市来四郎は、薩摩藩は安政4(1857)年に鉄製150ポンド砲の
製造に成功したと記しています。
文久3(1863)年、薩英戦争の時、鹿児島城下には2門の150ポンド砲があり、
威力を発揮しました。
云々。。。


仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

===
反射炉の建設と集成館の設置
アヘン戦争で中国がイギリスに敗れたという情報は、
島津斉彬に大きな衝撃を与えました。
嘉永4年(1851)、薩摩藩主となった斉彬は、日本が西欧諸国の
植民地にされるのではないかという危機感を抱き、
海洋に多くの領地を有する薩摩藩こそ、「大砲と船」に象徴される軍備の近代化と
産業育成に力を注ぐべきだと考えました。

反射炉は鉄製の大砲を鋳造するために築かれたもので、嘉永5年に着工し、
安政3年(1856)ようやく鉄製砲の鋳造に成功しました。
また反射炉を中心に溶鉱炉やガラス工場など様々な工場が整備され、
これらの工場群は「集成館」と命名されました。


仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

生麦事件に端を発した文久3年(1863)の薩英戦争では、イギリス艦隊7隻を相手に、
ここで造られた大砲が大活躍しましたが、その後解体され、
現在は基礎部分だけがのこされています。
云々。。。



===
集成館事業と反射炉跡
石垣は、大砲を鋳造するための反射炉の基礎部分です。
ここには耐火煉瓦を使って西洋式の反射炉が築かれていました。
欧米列強の艦船から国を守るには大型のカノン砲を並べた砲台要塞が必要である
と考えた薩摩藩は、オランダ人ヒュゲニンの図面を頼りに自力で反射炉建設に着手。


仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]

反射炉はドーム型の炉の天井で炎を反射させた強い熱で鉄を溶かし、
大砲の鋳型に流し込む施設です。
従来の石工技術で切石を組み、薩摩焼の技術で耐火煉瓦を焼き、
炉の材料としました。
1号炉は失敗に終わりますが、完成した2号炉で大砲を製造しました。
云々。。。


[仙巌園。[鹿児島県鹿児島市]]の続きを読む
回漕問屋忠兵衛の石燈籠。

そういえば今回、もうひとつお邪魔したところがありました。
伊勢町にある「伊勢神社」です。

境内にある「回漕問屋忠兵衛の石燈籠」!
前から興味のあった石燈籠です。
「足利の文化財一斉公開 2016」にて。


=== いただいた資料より ===
伊勢神社【伊勢町】
■回漕問屋忠兵衛の石燈籠

江戸時代、寛永元年(1645)以降、明治21年(1888)の両毛鉄道開通まで、
両毛地方の輸送の主力は舟運であった。
足利は利根川水系可航可川の上流部にあり、「北猿田河岸」は足利・
桐生の外港として、廻米と足利・桐生産織物の輸送業務で繁栄した。

本石燈籠は、「北猿田河岸」の中でも最も古い歴史をもつ回漕問屋であった
「問忠」が御神燈として、「船中安全」を大杉大明神(利根川水系水運)、
天照皇大神宮(太平洋水運)、金毘羅大権現(瀬戸内海水運)に祈願して建てた、
高さ3mを超える大型なものである。
協賛者の陰刻は、近隣や江戸はもとより遠く近畿地方にまで及んでおり、
広範な商域を知ることができる。
江戸時代において、足利・桐生の舟運の外港であった「北猿田河岸」の繁栄の
ようすを具体的に示す貴重な考古史料である。


[回漕問屋忠兵衛の石燈籠。[足利市*伊勢神社]]の続きを読む
鶴嶺神社。tsurugane-jinja [鹿児島県]

鹿児島県にやって参りました!

こちら「鶴嶺神社」であります。
島津家ゆかりの「仙巌園」のすぐお隣。
鶴嶺と書いて〝つるがね〟と読みます。
島津家歴代の当主が祀られている神社さんです。


=== 案内板より ===
鶴嶺神社
鎮座地 鹿児島市吉野町磯
御祭神 島津家歴代当主とその家族
御祭神 玉里島津家歴代当主とその家族
従 神 家老5名、殉死者45名
由 緒
島津氏は、鎌倉時代の初め文治元(1185)年より明治2(1869)年の
版籍奉還に至るまで、約700年にわたって南九州を治めた武将の家系です。

鶴嶺神社は明治2(1869)年、島津家の歴代の当主と家族等をお祀りする神社として、
鹿児島城下の山下鶴嶺(現、鹿児島市照国町)に創建されました。
明治6(1873)年、県社に列せられ、同12(1879)年に竜尾神社を合祀しました。
大正6(1917)年に現在地に遷座されました。
なお、28代島津斉彬公は、日本の国旗「日の丸」をご考案されました。
云々。。。


鶴嶺神社。tsurugane-jinja [鹿児島県]

===
鶴嶺神社と亀寿姫(ジメサァ)
鶴嶺神社には、島津歴代の当主とその家族たちが祀られています。
亀寿姫も御祭神の1人です。
亀寿姫は、元亀2(1571)年16代島津義久の三女として誕生しました。
天正15(1587)年、父義久が豊臣秀吉に降伏、亀寿姫は人質として
秀吉のもとに送られました。

その後、18代家久(義久の弟義弘の嫡男)の夫人となり、
寛永7(1630)年に亡くなりました。
心優しい人であったと伝えられ、鹿児島の人たちは亀寿姫の法名・
持明院にちなんで「ジメサァ」と呼んで慕い続けました。

また、たいへん美人であったとも伝えられています。
『薩摩旧伝集』に、秀吉は、亀寿姫があまりにも美しいので、
はじめは、偽物ではないかと疑いましたが、落ち着きはらった態度を見て
本物に違いないと判断したという逸話が記されています。
このため、鶴嶺神社にお参りすれば身も心も美しい女性になれるといわれ、
多くの女性がお参りするようになりました。
云々。。。




[鶴嶺神社。tsurugane-jinja [鹿児島県]]の続きを読む
満月の空 雅楽 盤渉調を聴く。[豊島区]

お庭、建物の佇まいが素晴らしい目白庭園にて
調香師の今井麻美子先生の香りとの響きあい
心静かに 心あそばせにいらして下さい○✨
~websiteより~

とても良い雰囲気が伝わってくるようです。
受け継がれてきた記憶を優しく刺激してくれそうな。。。
これは見逃せないっ。
さぁ、みんなで行ってみよー!


「満月の空 雅楽 盤渉調を聴く」
日 時/2016年12月14日(水) 18:30 開演
会 費/3500円
会 場/目白庭園(JR目白駅徒歩5分)
出 演/雅楽三昧中村さんち(中村仁美・中村香奈子・中村華子)
出 演/香りのしらべ 今井麻美子(香司)
お問合せ お申込み/香風舎 https://kofusha.amebaownd.com/
お問合せ お申込み/TEL 090-7411-3330


【目白庭園】
@東京都豊島区目白

張海。[太田市]

久しぶりにお邪魔してます、
太田市にある「張海」さん。
相変わらず、趣があって、食事はもちろん、
それ以外にもいろいろ楽しませてくれる和食のお店です。

お通しは「玉子焼き」と「お浸し」。


1611harigai-2.jpg

お刺身の2点盛り。
「ウニ」と「赤貝」をお願いしました★

赤貝は〝肝〟と〝ヒモ〟。
これが大好きなんです♪


1611harigai-3.jpg

お酒は日本酒の〝きき酒セット〟。
メニューの中から3つ選んで、お猪口3つでちょうど1合です。
〝東北泉〟〝雨後の月〟〝山吹極〟。


[張海。December.2016 [太田市]]の続きを読む
桜島SA。[鹿児島県姶良市] 桜島SA。[鹿児島県姶良市]

九州自動車道「桜島SA」です。


桜島SA。[鹿児島県姶良市]

地図で見ると、ここです。


[桜島SA。[鹿児島県姶良市]]の続きを読む
恐怖の恋。[東京都新宿区]

「銅騎士」から4年ぶりとなる工藤と石坂のコラボレーション作品は、
未来の大作に向けてのデッサンであり、輝かしい失敗と果てるであろう。
未生成のものから生まれる形態が、生命=熱をおびて蠢きだす。
別個の形態と出逢うことで浮かびあがる情緒。
それが流転して来たす恐怖、闘争、殺戮、エトセトラ・・・。

最後に残るのはニンゲンか?ヒトガタか?

齢とともに円熟味を増すおどり児と楽士の間=魔のかけ合いに、
どうぞご参入あれ!
~リーフレットより~


もうねー、猛烈に観たいわけですょ!
イクしかないんです!
来年春には桐生市での公演も決定しそうな動きもあり、
そちらも楽しみ!
さぁ、みんなで行ってみよー!!


「恐怖の恋」
日 時/2016年12月9日(金) 19:00開場/19:30開演
日 時/2016年12月10日(土) 19:00開場/19:30開演
日 時/2016年12月11日(日) 16:30開場/17:00開演
会 場/SPACE 雑遊(新宿3‐8‐8‐B1F 090-8846-5379)
出 演/工藤丈輝(舞踏) 石坂亥士(音楽)
料 金/前売り3000円、当日3500円

お問い合わせ
TEL/050‐3553‐5152
メール/tokyoguienkan@gmail.com



工藤丈輝×石坂亥士「マツリアワセ」を観た。[桐生市]
工場 koujou 工藤丈輝×石坂亥士。 [有鄰館酒蔵*桐生市]

【SPACE 雑遊】
@東京都新宿3‐8‐8‐B1F

出町地蔵尊。[熊本県人吉市]

朝です。
ホテルのすぐ側を流れる球磨川。
まだ人が出てこない時間。静かな風景です。


出町地蔵尊。[熊本県人吉市]

そして、
こちらのホテルの正面には、小さなお堂が建っています。
出町地蔵尊」です。


=== 案内板より ===
出町地蔵尊
出町は人吉の城下町から山田川を渡った場所にできた町です。
地蔵堂内部には明暦3年(1657)に造られた
石製の地蔵尊立像がまつられていて、「庚申石造」と彫られているので
庚申信仰の対象となった石像であることがわかります。


[出町地蔵尊。[熊本県人吉市]]の続きを読む