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那須湯本、殺生河原にて。

殺生石」です。
説明の必要もないほど有名な、妖怪伝説「九尾の狐」。
妖怪九尾の狐が、この殺生石になっちゃったっていう
怖いお話ですね~。


=== 案内板より ===
殺生石と白面金毛九尾の狐伝説
 石の香や 夏草赤く 露あつし  芭蕉
 飛ぶものは 雲ばかりなり 石の上  麻父
 あわれさや いしを枕に 夏の虫  桃隣

殺生石は、白面金毛九尾の狐伝説(九尾の狐伝説)として知られ、インド、中国
そして日本の三国にまたがる雄大な歴史を背景に、美女や妖怪、
宮中人などが登場する怪奇で広大なスケールとして描かれています。
また荒涼たる殺生石の情景は多くの文人たちによって
数多くの文学作品として紹介され、全国的に知られる史跡の一つとなっています。

話は、平安初期の鳥羽帝の御代。
インド、中国を荒らしまわった九尾の狐は、やがて日本へ渡来、
「玉藻の前」という美女に化身し、帝の寵愛を受けるようになりました。
帝の命を奪い、日本を我がものにしようとした玉藻の前は、
陰陽師の安倍泰成によってその正体を見破られ、白面金毛九尾の狐の姿となって
那須野が原へ逃げ込んだのです。


那須湯本、殺生河原にて。

これを知った朝廷は、上総介広常、三浦介義純の両名に命じ
九尾の狐を退治させました。狐は死して巨石と化し、
その怨念は毒気となって近づく人や家畜、鳥獣をも殺し続けたのでした。

室町時代になって、これを伝え聞いた名僧源翁和尚はこの地を訪ね、
石に済度、教化を授け、持っていた杖で一喝すると、石は三つに割れ、
一つは会津へ、一つは備前へと飛んでいき、残った一つがこの殺生石である
と伝えられています。

殺生石は、室町時代の「下学集」に初めて登場し、その後謡曲「殺生石」が書かれ、
江戸時代には歌舞伎等の演劇の題材として上演され、
日本国中に知られるようになりました。

元禄2年(1689)、芭蕉がおくのほそ道で湯本を訪れたのも
殺生石を見るためでした。
殺生石は、これより賽の河原を経て300メートル奥にあります。
現在でも風のない日はガスが漂いますので御注意ください。
云々。。。


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