ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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やまと。[宇都宮市]

今夜は宇都宮です。
友人と連れ立って行った和食のお店、
やまと」さんにお邪魔しました。

カウンター席、目の前にあるのは、そう、おでんですっ。
やまとさんでは一年を通しておでんが楽しめるのだそう。
いいなー。


やまと。[宇都宮市]

というわけで、先ずは生ビール。
そして日本酒。地元のお酒、全国の銘酒の中からチョイスされた
渋い品ぞろえ★
「もずく酢」と一緒に。


やまと。[宇都宮市]

「お刺身3点」。
スルメイカ、ホタテとコハダ。
どれも美味しい~。瞬殺デス。


[やまと。[宇都宮市]]の続きを読む
越後湯沢、海鮮道楽 ととやさん。

気づいたら越後湯沢。
いつもの処「海鮮道楽 ととや」さんにお邪魔しています♪

いつも通りのカウンター席。
そして生ビールから始まります。
「お通し3点」。
真ん中、手作りゴマ豆腐がメチャ好きなんです。


越後湯沢、海鮮道楽 ととやさん。

お刺身の盛り合わせ。
「選べる3点盛り」から、アオヤギ、カワハギ、真アジ、をお願いしました。
肉厚なカワハギは肝と一緒に。
アオヤギ、アジも美味しくいただきます。
蕪か何かかなぁ、と思っていた紅い丸いのは、エシャレットの漬物。


越後湯沢、海鮮道楽 ととやさん。 越後湯沢、海鮮道楽 ととやさん。 越後湯沢、海鮮道楽 ととやさん。

生ビールの後は、八海山の米焼酎「宜有千萬」を。

「つぶ貝串焼き」、「岩もずく酢」、「若鶏の唐揚げ」もやっつけます。


[海鮮道楽 ととや。July.2015 [新潟県湯沢町]]の続きを読む
第52回 桐生八木節まつり。[桐生市]

今年もこの季節がやって参りました!
「桐生八木節まつり」♪

「みこし宵の出御(祇園)」は前日の8月6日(木)20:00~。
今年は美和神社~本町6丁目へ。
桐生人のお祭りにかける情熱はハンパないぞっ!

第52回八木節まつりは、
8月7日(金)、8日(土)、9日(日)の開催!
他にも市内各所でいろいろなイベントが催されますョ。
さぁ、皆で行ってみよーっ!

詳しくはこちらから。
◇ 桐生八木節まつり2015 http://kiryu-maturi.net/



以前の記事はこちらから。
桐生八木節まつり、みこし宵の出御 2013。 [桐生市]

【桐生八木節まつり】
@群馬県桐生市本町5丁目(粋翔大やぐら)

三毳フライデーナイトフィーバー。

幻想的なライトアップは「みかも不動尊」。
そう、私は今、「道の駅 みかも」にいます。

大人の時間を楽しもう!なコンセプトで開催されている、
三毳フライデーナイトフィーバー」にやって参りました★


三毳フライデーナイトフィーバー。

会場は、駐車場となりの広場。
すでにたくさんのお客様で賑わっています。


三毳フライデーナイトフィーバー。

三毳フライデーナイトフィーバー。

ワークショップや雑貨、アート、フード、etc。。。
いろいろなお店屋さんが立ち並びます★
個性的なショップが多いです。楽しそ。


三毳フライデーナイトフィーバー。

特に目を引いたのはライブイベント。
バンドさんがきざむリズムに乗って、
皆さん体をゆらせていました♪


[昨夜は、三毳フライデーナイトフィーバー。[栃木市]]の続きを読む
宮崎県木城町・山菜長越。

雨の降る木城町。in 宮崎県。
何年ぶりになるでしょうか?
郷土料理のお店「山菜長越」さんにやって参りました☆
ホント久しぶり~。


宮崎県木城町・山菜長越。

お店の奥にある座敷のテーブル席に陣取りました。
すごく田舎にあるんですけど、お客様いっぱいです。
人気のお店なんですね☆

先ずは「山菜ビーコー」。
竹皮に包まれたコレ。


[山菜長越 sansainagakoshi。[宮崎県木城町]]の続きを読む
宮崎県高鍋町。晩屋いも蔵。

曇ってマス。

そして雨。

ゆれなければいいなぁ。。。
in 羽田空港。


宮崎県高鍋町。晩屋いも蔵。

午後一番のフライトです。
天気のぐずれた、あまり良くないコンディション(汗、、、
見通しの悪い雲の中に突っ込んでいく前の飛行機(汗、(汗、、、
あぁ。。。


宮崎県高鍋町。晩屋いも蔵。

飛行機、苦手なんです~(汗、、、
なんだかんだとやってるうちに、雲の上に出たっ。

おやすみなさい。。。


。。。


宮崎県高鍋町。晩屋いも蔵。

というわけでやって参りました〝宮崎県っ〟。
高鍋町にある「晩屋 いも蔵」さんです。


[晩屋いも蔵。July.2015 [宮崎県高鍋町]]の続きを読む
第101回 足利花火大会。[足利市]

第101回足利花火大会」。

明治36年(1903)に始まってから今年でなんと112年!
第101回目を迎える足利の花火大会です!
すごいですねー、101回目ですょ、101回!

8月1日(土)の夜7時打上開始。
さぁ、みんなで行ってみよーっ。
101回目!


詳しくはこちらから。
◇ 足利商工会議所ホームページ http://www.ashikaga.info/



去年の足利花火大会はこちらから。
第100回 足利花火大会。[足利市]

【第101回 足利花火大会】
@栃木県足利市伊勢南町

虹。

昨日の夕方、東の空に虹がありました。

ほろほろとくずれてしまいそうな淡い光だったけれど、
久しぶりに観れた虹は綺麗だったなー。

Rainbow。
リッチー・ブラックモア?
ちょっと古いかな。。。


以前の虹はこちらから。
足利の出初式 2008年
BECCANと日光! #2★華厳の滝で浄化しよ♪


フクワヤ +2988 July.2015。[足利市]

今夜は「フクワヤ +2988」さんのカウンターで。


フクワヤ +2988 July.2015。[足利市]

野菜、テンコ盛り、
チーズもいっぱいの、


フクワヤ +2988 July.2015。[足利市]

「宮崎牛のカルパッチョ」。


[フクワヤ +2988。July.2015 [足利市]]の続きを読む
上林温泉、湯宿せきや。その27

信州、湯田中渋温泉郷。
山ノ内町エリアにあるいくつかの温泉の総称です。

その中でも、温泉に浸かるお猿さんで有名な
地獄谷に一番近いのが「上林温泉」です。

湯宿せきや」さんにやって参りました。
全8室の小さなお宿。
なかなか予約が取れなかったのですが、
ちょこちょこチェックしながら、ようやくGET★


上林温泉、湯宿せきや。その35

落ち着いた雰囲気が漂う館内。
早々にチェックインを済ませ、大浴場へ。
湯宿というくらいですから、いくつもお風呂があるんですねー。
そして全て源泉かけ流し。

源泉名は〝地獄谷源泉〟、
泉質は〝ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉〟。
神経痛、筋肉痛、疲労回復に効果があるのだそうです。

ちょい熱めのお湯ですから、掛け湯で身体をならしてから
浸かりましょう。
メチャメチャ気持ちいいですっ。
ふいぃ~、、、


上林温泉、湯宿せきや。その4

上林温泉、湯宿せきや。その3 上林温泉、湯宿せきや。その5
(写真はクリックで大きくなります。)

温泉に浸かった後は、お酒の楽しめるスペース「サロン TANNOY」へ。
ウェルカムドリンクになるのかな?
キンと冷えた白ワインのサービスがありました★
ほのかな甘味を酸味が引き締める、果実味のある美味しいワイン。
湯上りの白ワイン、サイコウ。


上林温泉、湯宿せきや。その34

ワインをいただき、次に向かったのは貸切の露天風呂。
3つある貸切露天うち、こちらは「ヒノキ露天風呂」です。

緑が綺麗なんですよねー。
ものすごく癒される。
鳥のさえずりしか聞こえないこの静けさが最高の贅沢であります。。。


[湯宿せきや。[長野県*上林温泉]]の続きを読む
おかめ寿司。[長野県*湯田中温泉]

長電長野線、終着駅の「湯田中」です。
湯田中渋温泉郷に到着であります★

なにやら電車が好きそうなオジサンが何枚も写真を撮っていましたが、
珍しいのかな、この電車?


おかめ寿司。[長野県*湯田中温泉]

というわけで、そろそろお腹の空いてきたお昼時。
駅を背に右手、坂を少し下ったところ。
事前にお宿の女将さんから聞いていたお寿司やさんです。
おかめ寿司」さんにGo→


おかめ寿司。[長野県*湯田中温泉]

テーブル席に陣取りまして、
先ずは冷たい生ビール、そして長野の日本酒
「水尾」をお願いしました★

「お通し」はマグロのトロ皮。
このトロ皮で、期待感がグイッグイッ、と上がりました♪
美味しい★


[おかめ寿司。[長野県*湯田中温泉]]の続きを読む
長野市、松代城跡。

長野市にある「松代城」跡です。
川中島合戦の頃、山本勘助さんが築城した海津城です。
後にその名称が松代城と改められます。
石碑には海津城と刻まれています★


=== 案内板より ===
史跡松代城跡
松代城は、甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との『川中島の合戦』の際に、
武田側の前線基地として築かれた海津城がその始まりといわれており、
永禄3(1560)年頃に普請が完了したものと伝えられています。


長野市、松代城跡。

慶長5(1600)年関ヶ原の戦いの後、城主となった森忠政の頃、
二の丸・三の丸を整備し、土塁を石垣に築きなおしたものと考えられています。
元和8(1622)年に真田信之が上田より移封されて以降、明治の廃城までの約250年間、
松代藩真田家10万石の居城となりました。

松代城は、北西側を流れる千曲川を自然の要害として造られた平城で、
最奥部に本丸、南側の城下に向けて二の丸・三の丸・花の丸などの
曲輪を構えていました。
明治5(1872)年の廃城遺構、建物は無くなったものの、昭和56(1981)年に
本丸を中心とした旧城郭域の一部が新御殿とともに国史跡に指定されています。
云々。。。


長野市、松代城跡。

===
北不明門(きたあかずもん)
本丸の裏口(搦手)に位置する門です。太鼓橋と同様に
櫓門と表門(枡形門)の2棟による構成でした。


長野市、松代城跡。

18世紀中頃に行われた千曲川の改修以前は、門が河川敷に
接していたことから、『水之手御門』と呼ばれることもありました。
絵図史料をもとに、当時の門礎石をそのまま利用して忠実に復元しました。
櫓門は石垣に渡らずに独立しており、中世的な様相を残した
松代城の特徴的な門です。
云々。。。


[松代城跡。[長野市]]の続きを読む
風林火山の旗。

=== 案内板より ===
「風林火山」の旗
武田軍の軍旗であるこの旗は、別名「孫子」の旗ともいわれ、
もともと鮮麗な紺色の絹布に金泥で書いたもので、字句は兵法の聖典
「孫子」の一節で、武田氏の菩提寺恵林寺の禅僧快川招喜(かいせんしょうき)の
筆になるものである。

「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、
侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」

これは合戦にのぞみ、軍隊とはかくあるべきことを教えたもので、
孫子の研究者として戦国時代の最高峰といわれた信玄の軍隊運用術でもあった。

武田軍の軍旗としては、このほかに「南無諏方南宮法性上下大明神」の旗があり、
「風林火山」の旗と共に武田軍の象徴である。
云々。。。


逆エンジュ。

===
逆槐(さかさえんじゅ)
山本勘助等の進言にる「キツツキ戦法」の採用を決定した武田信玄は、
永禄4年(1561)9月9日夜、ここ八幡原に上杉軍挟撃の陣地を構えた際、
この場所に土塁を積みかさね、矢来を組み、盾をめぐらして本陣をおいた。
このとき土塁の土どめに自生の槐の杭を根を上にして打ち込んだのが芽を出し、
その後約400年を経てこの巨木に成長したものと伝えられる。


八幡原の土塁。 八幡原の土塁。

「境内に残る土塁」。

周囲に低い土塁のあとがみえるのは、信玄本陣を示す枡形陣形跡である。
云々。。。



[川中島古戦場のいろいろ。Vol.2 [長野市*八幡原史跡公園]]の続きを読む
八幡原本陣再現。

戦国史に残る名場面。
信玄さんの陣地「八幡原本陣」にて、信玄の不意を突いて斬り込む
上杉謙信。この両雄を再現した〝三太刀七太刀〟の銅像。
おぉ~。。。


=== 案内板より ===
八幡原本陣再現
ここ八幡原史跡公園は、永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いで、
武田信玄の本陣がおかれた場所とされています。


八幡原本陣再現。

信玄は、高坂昌信(春日虎綱)率いる別働隊を、上杉謙信が籠る
妻女山に向かわせ、別働隊に背後を突かれて追われてくる上杉軍を
挟み撃ちにするため、この八幡原に本陣を敷いて待ち構えていました。


八幡原本陣再現。

後世、啄木鳥(きつつき)戦法と呼ばれるこの作戦は、
大河ドラマ「風林火山」の主人公・山本勘助の発案であったとされています。
しかし、信玄の動きを見抜いた謙信は、夜陰に紛れていち早く妻女山を下ったため、
9月10日朝、信玄の本隊は別働隊の到着を待たずに上杉軍との戦端を開きます。
激戦のさなか、謙信が信玄の本陣に攻め込み、信玄に向かって
三太刀斬りつけ、信玄は床几にすわったまま軍配でそれを受けたとされる
「信玄・謙信一騎討ち」の伝説もこの戦いで生まれました。
云々。。。


[川中島古戦場のいろいろ。Vol.1 [長野市*八幡原史跡公園]]の続きを読む
川中島古戦場 八幡社。

川中島古戦場 八幡社。

「鳥居」。

川中島古戦場の「八幡社」です。
さすがに有名な史跡とあって、平日でもたくさんの観光の方がいらっしゃいます。
こちらの神社さんの境内にも、たくさんの見どころがありました★


川中島古戦場 八幡社。

「手水舎」。

=== 神社手前の案内板より ===
川中島古戦場 八幡社
御祭神 誉田別尊 建御名方命
この神社は八幡社といい、これより先は武田信玄が陣構え、
御加護を仰いだ八幡大神を奉斎する神社の神域となり、
正面手前が旧社殿(鞘堂・さやどう)、奥が現在の神殿であります。

また昔よりこの一帯をこの神の御名に因んで八幡原と称しております。
云々。。。


川中島古戦場 八幡社。

「旧社殿」。

===
川中島古戦場八幡原
川中島合戦今から400年前、天文22年より永禄4年に至る
13年の永きに亘って行はれたが、後世広く伝えられている川中島合戦は
永禄4年の戦いを指している。

この戦は越後の雄将上杉謙信、甲斐の智将武田信玄が
こヽ川中島に雌雄を決せんと武田勢は八幡原に、上杉勢は妻女山に陣をとり、
両軍併せて三万三千余、9月10日未明の霧深い中で信玄の「鶴翼」の配備と
謙信の「車懸」の攻撃で双方死斗を盡し、こヽ八幡原は大修羅場と化した。


川中島古戦場 八幡社。

その中にあって、謙信は只一騎愛刀「小豆長光」を振りかざし
武田の本陣に切り込み不意を突かれた信玄は
軍配で謙信の太刀を受けたという有名な「三太刀、七太刀」も此の処である。
時に信玄41才、謙信32才であった。

この戦で死傷者七千を数え史上最大の激戦で
両将の決戦場こヽ八幡原に現存する土盛りの跡は、武田本陣桝形陣地で
当時の一部を物語っている。

両将の戦術は幾多の戦術研究の指針とし現代戦にも多く応用されたと聞く。
武田の居城海津城は東南四粁の松城に、また賴山陽の「鞭声粛々夜渡河」
で有名な雨宮渡は東側を流れる千曲川の上流約六粁の地点である。
云々。。。


[八幡社。[長野市*八幡原史跡公園 (川中島古戦場)]]の続きを読む
佐野市の駅、佐野城跡。

JR佐野駅北です。
駅を出るとすぐ目の前が公園になっていますが、
ここがかつての「佐野城」、「三の丸跡」★

佐野駅からまっすぐ北に向かうエリアが城郭となっています。


佐野市の駅、佐野城跡。

こんな感じですね。
図の一番下、三の丸の南が駅になります。


=== 案内板より ===
佐野城跡
佐野城は、別名“春日岡城”とも言われ、その地名は、延暦元年(782)
藤原藤成がこの丘に春日明神を祭ったことに由来すると伝えられています。
慶長7年(1602)、唐沢山城主佐野信吉は、当時この地にあった惣宗寺
(佐野厄除大師)を移転させるとともに、築城と町割りを開始しました。


佐野市の駅、佐野城跡。
「二の丸跡」

今日見られる佐野の街は、当時の佐野城を中心とした町作りが
その原形となっています。
佐野氏は、慶長12年(1607)唐沢山城を廃してこの地に移りましたが、
慶長19年(1614)所領を没収されて改易となり、
築城後まもなく城は廃城となってしまいました。


佐野市の駅、佐野城跡。
「二の丸から西の方を望む」

城は、独立丘陵を利用した連郭式の平山城で、
南から三の丸・二の丸・本丸・北出丸と直線的に続く郭で築かれています。
これら縄張の主郭部は、全体で東西110m・南北390mの規模を有し、
それぞれの間は空堀で区切られ、内堀へと続いていました。
現在、内堀から外堀の範囲は市街化が進み、完全に埋め立てられていますが、
主郭部は当時の城割の姿を良好に留めており、貴重な歴史文化遺産として
後世に伝えるべく史跡・名勝に指定されています。
云々。。。


佐野市の駅、佐野城跡。
「二の丸にあった佐野桜」

===
佐野桜 さのざくら
この桜は昭和5年(1930)に、京都市嵯峨の佐野藤右衛門氏が
育成した典型的なヤマザクラですが、佐野氏にちなんで
植物学者の牧野富太郎博士が「佐野桜」と命名されたものです。
昭和49年、佐野氏からこの苗木を寄贈されましたがこんなに生長しました。
開花時期は4月中旬と遅いですが、枝は細く花つきがよく、
花びらも12~15枚ある優秀花です。
云々。。。


[佐野城跡。[佐野市]]の続きを読む
金山城長手口の古道。[太田市

前回に続いて「ぐんまこどもの国」であります。
実は本命はこちら。
「B」マークの記してあるところにあります。


金山城長手口の古道。太田市

史跡「金山城長手口古道」。
金山城に通じる裏口、お勝手口?ですっ。


金山城長手口の古道。[太田市

=== 案内板より ===
金山城長手口の古道
この道は、今から約400~500年前位の昔に造られた古い道です。
金山の頂上にあった実城に登るのに使われました。
ここは、長手口と言われ、実城から見ると裏口にあたります。
当時はこの道を使い、金山城にこもった人達が必要な食料や
武器を運びました。


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