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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。
史跡 森将軍塚古墳。その1

お目当ての古墳です。
しかし、それは山の上にありましたっ?!
歩いても行けますが、せっかくですから見学バスを利用することにしました。
(一般車両は進入禁止であります。)

そう、これが「森将軍塚古墳」です。


史跡 森将軍塚古墳。その2

ずいぶんと見晴らしのよい、山の尾根にあります。
よくこんなところに造りましたねー。


史跡 森将軍塚古墳。その3

それにしても大きいっ。
長野県内で最大。
石室は東日本最大級の前方後円墳なのです。


史跡 森将軍塚古墳。その11

=== 案内板より ===
史跡 森将軍塚古墳
前方後円墳に代表される古墳は、4世紀にはいるころ
近畿地方の有力者たち(大和王権)によって築かれはじめたと考えられています。

古墳の形や大きさは、大和王権と各地の有力者たちとの関係の深さと
力の大きさなどによって決まるといわれています。


史跡 森将軍塚古墳。その4

長野県下で最初の、そして最大の前方後円墳である森将軍塚古墳は、
“科野(しなの)の国”最初の王者のお墓といってもよいでしょう。

古墳は、主がおさめた善光寺平を一望にできるこの狭い尾根の上に、
築かれたので折れまがった形となったと考えられています。
また尾根を削ったり、土を盛り形を整え、表面には
この山から集めた石英斑岩を葺き並べています。
云々。。。


史跡 森将軍塚古墳。その6

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前方部
前方部は、古墳の主が眠る後円部にいたる通路あるいは、
儀式の場所ではないかと考えられています。
森将軍塚の前方部は、後円部と同様に千曲川から運びあげられた
玉砂利が敷きつめられ、埴輪が立て並べられた広いものです。
後には竪穴式石室2基をはじめ、組合式箱形石棺や埴輪棺などの
埋葬施設が設けられています。
云々。。。


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長野県立歴史館。その1

=== 案内板より ===
御柱(おんばしら)
御柱は寅年と申年の7年目毎に神殿の御造営と共に建替えられる御神木で
社殿の四隅に建立される。
この御柱は秋宮一之御柱で長さ17米直径1米の樅の大木で
霧ヵ峰高原に続く東俣国有林伐採し数千人の氏子奉仕によって曳行された。
4月の山出祭、5月の里曳き祭は天下の奇祭として有名である。
云々。。。

長野県立歴史館。その2

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天下の大祭 諏訪大社
御柱祭りと御幣
信濃国一之宮である諏訪大社では今から1200年あまり前の桓武天皇の頃より
寅・申の歳、7年毎に式年造営御柱大祭が行われてきました。
御柱は樹齢150年以上の樅の大木で10数キロメートルにおよぶ
山奥から曳き出されます。

長さ20メートル、重さは12トン、この大木を曳くには、
千人あまりの人々の力が必要です。
遠くまでとどく高い声の木遣(きやり)の唄に合わせて、
神霊が宿るといわれるこの御幣を打ち振り一致協力して
社の四隅に曳きつけ、建てるのです。

山出祭は、豪壮な木落としが見られます。
また里曳祭は、長持、騎馬行列等が華やかな祭を演出します。
云々。。。


長野県立歴史館。その3

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ナウマンゾウ
野尻湖から出土した化石をもとに復元をした。
全長3.7m、幅1.4m、高さ2.7m、重さ4tほどである。
アジアゾウに比べて体が大きく肩までの高さが高い。
ベレー帽のような形の頭、大きく曲がった牙、小さな耳に特徴がある。

約2万年前の氷河期の寒冷化と、人類の狩猟により絶滅したと考えられる。
云々。。。


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