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(伝)権田栗毛終焉の地。 [高崎市]その1

座主の森からほどなくデス。
権田栗毛終焉の地」。
権田栗毛とは熊谷直実さんの愛馬。直実さんとは源平合戦、
一の谷の戦いで活躍した武将です。


=== 案内板より ===
(伝)権田栗毛終焉の地
寿永3(1184)年、一の谷に合戦において勇名を馳せた
武蔵国(現埼玉県)の住人、熊谷次郎直実の乗馬「権田栗毛」は、
余命を生まれた土地権田村で過ごさせるため主の許より放たれ、
権田までたどりついたがなつかしい生家は今はなく、
落胆して引き返す途中ついに力尽き、この地で最期をとげたという。

なお、この伝説について次のことが言い伝えられている。


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榛名山座主の森。 [高崎市]その1

高崎市です。
倉渕町を通る国道406号線。この辺りですと、手前の中室田町にある
「キッス地蔵」を観に来たことがあったなー。
こちら↓
ぶちゅ~~、っと!中室田の道祖神  ★高崎市

今回、いくつかピックアップしての
倉渕町でありますっ。


榛名山座主の森。 [高崎市]その3

=== 案内板より ===
榛名山座主(ざす)の森
この塚は榛名山座主、快尊、中尊、快承三人の墓と言い伝えられる。
鎌倉期のものと推定される多重塔の残部と、室町時代の初期に建てられたもの
と思われる二基の板碑がある。

快尊、中尊は藤原道長四代の孫、関白忠実の子孫といわれ、
京都から榛名山に入り代々座主職を世襲した。
快尊は榛名山第四代の座主で、忠尊、快承はその子である。


榛名山座主の森。 [高崎市]その2

この父子は、同じ榛名山に住むの頼印と戦い、
烏川沿岸で討ち死にしたという。
快尊、忠尊は観応3(1352)年、快承は文和2(1353)年に死亡したと
記録に残されている。


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