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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。
09年11月のエビ君 1

水面近く、
浮いた水草の中に稚エビ君、発見!

09年11月のエビ君 2

久しぶりのエビ君の記事です。

こちらは、もう少し大きくなった彼。


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厳島神社と戸ノ口堰洞窟  ★会津若松市 7

飯盛山へ上る、こちらは「旧参道」。
「霊牛神堂」があります。

=== 案内碑より ===
当山厳島神社御祭神は会津平を守護し給かなう
弁財天におわします。
風土記にいう「永徳年間この社造作の始め
童女赤飯を牛に駄して来り役夫に振舞い
食えども盡きず のち南へ行くこと数十歩にして見えず
その地を牛ヶ墓といい、山を飯盛山とよぶ」
と さる昭和48年癸丑元旦先代山全正成神霊夢枕に現れ
「此の神を□い清めて弁天社の案内神を祀らん」と告ぐ
謹みて按ずるに霊牛神に他ならず
よって願いを立て御神体を奉じて御神徳を仰ぐものなり
云々。。。

厳島神社と戸ノ口堰洞窟  ★会津若松市 6

「子育地蔵尊」のお堂を右にみて。。。

厳島神社と戸ノ口堰洞窟  ★会津若松市 5

「厳島神社」の朱の鳥居があります。

厳島神社と戸ノ口堰洞窟  ★会津若松市 1

===
當社は宗像三女神の一にして古くから人々の信仰が厚かった、
主神は市杵島姫命である。
会津の領主芦名直盛公の時代、
石塚、石部、堂家の三家によって
社殿が建てられたるものとして時は栄徳年間のことである。

別當は正宗寺である、降って元禄13年には
会津藩主松平正容公は御神像及び土地を寄進され、
明治の初期に嚴島神社と改めたこの山を飯森山と呼ぶ、
別名の辨天山は、この神社にあやかるものである。
云々。。。


ご飯をもったような形の飯盛山も、
昔は辯天山と呼ばれていたようですネ。


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