
足利市にある「酒肴 樹洞・うろ」さんです。
おおーっ!
マスターの感性が溢れでているこのアプローチ★

怪しい空間に引き込まれていくよう。。。
なんだかワクワクしてくるような♪

というわけで、一杯やりましょう★
グラス生ビールをお願いした後~。
「お通し」は冬瓜と蒟蒻。
季節感のあるこのお通しが、
飲んベエ魂に火をつけてくれるのデス!

ゴクリと生ビールをやっつけて、
山形の地酒、麓井(ふもとい)の純米酒に
お燗をつけていただきました♪
そして「マグロとアボカドのタルタル」。
樹洞さんの人気メニューのひとつです。
このタルタルソース。以前に比べて
少しだけワサビの風味が強くなったようで
すんごくお酒に合います!

「エボ鯛のひらき」。
焼き魚で、お燗をチビリチビリ。。。
きゅ~、と喉にしみわたりますぅ~。
くぅ~。。。うまい。。。
ちょっと親父モード全開かな(笑
=== 案内板より ===
新田荘遺跡
平安時代末期の12世紀中頃、源義国(みなもとのよしくに)の子
新田義重(にったよししげ・新田氏初代)は、
現在の新田郡のほぼ全域と太田市の南西部を開発して荘園とし、
ここに「新田荘」が成立しました。

新田荘は、日本の中世史を代表する荘園の一つで、
ここを中心に新田氏一族が活躍を繰り広げました。
云々。。。

===
十二所神社境内
十二所神社は、円福寺本堂の西、茶臼山古墳の後円部
墳頂近くにあります。
創建された時代は不明ですが、
中に全部で16体の神像が安置されています。
~中略~
平安時代は神仏習合が進み、中世に入ると日本の神々を
仏教の如来や菩薩の権現とする考えが一般化し、
神殿内に仏を安置し、寺院境内に神々を祀ることが普及しており、
ここにもその一端を伺うことができます。
云々。。。

円福寺の「茶臼山古墳」。
この古墳のてっぺん近くに鎮座する「十二所神社」です★
神仏習合の名残を残す神社さんも良く見受けられますが、
こちらの神社さんも、濃いですねー。
うむむ。
新田荘遺跡
平安時代末期の12世紀中頃、源義国(みなもとのよしくに)の子
新田義重(にったよししげ・新田氏初代)は、
現在の新田郡のほぼ全域と太田市の南西部を開発して荘園とし、
ここに「新田荘」が成立しました。

新田荘は、日本の中世史を代表する荘園の一つで、
ここを中心に新田氏一族が活躍を繰り広げました。
云々。。。

===
十二所神社境内
十二所神社は、円福寺本堂の西、茶臼山古墳の後円部
墳頂近くにあります。
創建された時代は不明ですが、
中に全部で16体の神像が安置されています。
~中略~
平安時代は神仏習合が進み、中世に入ると日本の神々を
仏教の如来や菩薩の権現とする考えが一般化し、
神殿内に仏を安置し、寺院境内に神々を祀ることが普及しており、
ここにもその一端を伺うことができます。
云々。。。

円福寺の「茶臼山古墳」。
この古墳のてっぺん近くに鎮座する「十二所神社」です★
神仏習合の名残を残す神社さんも良く見受けられますが、
こちらの神社さんも、濃いですねー。
うむむ。

せっかくですから「大内宿」にて食事をとろう!
こちらは「民宿・大和屋」さんです♪
お土産、お食事、宿泊と、三拍子そろったお店やさんです。

通されたのは、なんと通りに面したテーブルです!
隣では、お店のおじさんがお土産を売ってますがね。。。
中から見る大内宿のメインストリート!
この風景はこの場所からでないと経験できませんょ♪
こちらのお店の人になったようです。
しかし意外にも、買い物をしにくる観光客の方が
気にならなかったのは不思議だなー。
うむ。

サービスですよー、といって
お新香を出してくれました♪
こりゃ、まったくもってのお通しだね♪と、
勝手に解釈してしまう私は、迷わずにビールを!

おおーっ!サッポロ黒ラベル★
福島県限定の「野口英世」博士ラベル。
グイグイグイッ。あ゛ーっ、と。
一気にやっつけるぞ!

まわりがとても珍しくて、キョロキョロと
見回しているうちに運ばれてきた「ねぎそば」。
長ネギをお箸がわりにして食べる
一風変わったお蕎麦。
=== 案内板より ===
御室山金剛院円福寺は、古義真言宗の寺で、
新田宗本家4代の新田政義が開基したと伝えられる。
開山は政義により京都御所の仁和寺から招かれた
阿闍梨静毫とされる。

政義は寛元2年(1244)大番役(朝廷警固)のため在京中、
所労と称し、六波羅深題や、上司である上野国守護安達泰盛の許可を得ず
仁和寺に入り出家した。
このため幕府よりとがめを受け、所領の一部を没収され
失脚し帰国、由良郷別所に蟄居した。
円福寺はこの時に開基されたものと考えられている。

由良郷は別所・細谷・脇屋・奥(沖野)の4ヶ村を付属させた大きな郷で、
新田宗本家の所領であった。
新田宗本家の館跡が円福寺の北東隣接地(大字別所字大門)に
想定されている。
なお、この地域には室町・戦国期に岩松氏・横瀬(由良)氏の城跡が築かれている。

伝新田氏累代の墓は、茶臼山古墳前方部東側にあり、
多層塔・五輪塔・板碑の台石20基ほどがある。
石材は新田郡笠懸町西鹿田の天神山産出の凝灰岩と同定されている。
この中の一基の五輪塔地輪部に、新田義貞の祖父新田基氏の法名
とされる「沙弥道義」の銘文がある。
御室山金剛院円福寺は、古義真言宗の寺で、
新田宗本家4代の新田政義が開基したと伝えられる。
開山は政義により京都御所の仁和寺から招かれた
阿闍梨静毫とされる。

政義は寛元2年(1244)大番役(朝廷警固)のため在京中、
所労と称し、六波羅深題や、上司である上野国守護安達泰盛の許可を得ず
仁和寺に入り出家した。
このため幕府よりとがめを受け、所領の一部を没収され
失脚し帰国、由良郷別所に蟄居した。
円福寺はこの時に開基されたものと考えられている。

由良郷は別所・細谷・脇屋・奥(沖野)の4ヶ村を付属させた大きな郷で、
新田宗本家の所領であった。
新田宗本家の館跡が円福寺の北東隣接地(大字別所字大門)に
想定されている。
なお、この地域には室町・戦国期に岩松氏・横瀬(由良)氏の城跡が築かれている。

伝新田氏累代の墓は、茶臼山古墳前方部東側にあり、
多層塔・五輪塔・板碑の台石20基ほどがある。
石材は新田郡笠懸町西鹿田の天神山産出の凝灰岩と同定されている。
この中の一基の五輪塔地輪部に、新田義貞の祖父新田基氏の法名
とされる「沙弥道義」の銘文がある。

南会津、下郷町にある「大内宿」。
★重要伝統的建造物群保存地区★に指定されている
あまりにも有名な観光名所です。
すんごい有名な場所にもかかわらず
最近まで知らなかったのです、私。。。
ハズカシ(汗
平日にもかかわらず、パーキングにたどり着くまでが
至難の業っ!
渋滞してますねー。さすがに人気です!

大内宿に入ると、まずまず目に飛び込んでくるのは
茅葺のブ厚い屋根、屋根!屋根★
重厚感のある屋根がずらりと並び
とても迫力があります♪

おぅっと!
こんなところに突然「鳥居」が現れました。
ここからが「高倉神社」の入り口になるようです。
ヒジョーに気になりますが、今回は
時間もないので(汗、神社の参拝は諦め。。。

この大内宿の風景を堪能します。。。


たくさんの観光客の方たちが、まるで当時の風景、
栄えていた頃の大内宿を彷彿させてくれます♪

=== 案内板より ===
大内宿本陣跡
大内宿の本陣は会津と奥州街道を結ぶ
会津西街道の拠点のひとつとして江戸時代の初期に
建てられ会津藩の初代藩主・保科正之、二代藩主・正経が
江戸参勤のためこの街道を利用し、
ここで昼食をとったという記録が残っている。
この時の行列の総人数は約600人で、
宿場内はたいへんなにぎわいであっとゆう。

ところで、大内宿は戊辰戦争の舞台となったことから、
本陣に関する記録、図面等が散失しいまだ発見されていない。
このため同じ街道の糸沢宿・川島宿の本陣を参考に設計し
復元されたものである。
本陣には殿様専用の玄関(乗りこみ)・上段の間・
風呂・雪隠があり茅屋根のどっしりとした風格とともに
当時の面影を色濃く再現している。
云々。。。

オフィスに届いた1枚のカード。
「秋、酒蔵にて」!!
おおーっ、なんとご無沙汰しています、宗月窯の
籠橋先生からのイベントの案内です♪
11人もの作家さんが参加するというじゃありませんか!
オモシロそうな作品が見られそうー。
これは行くしかないっ♪
さぁ、皆でいってみよー!
「秋、酒蔵にて」 木と鉄と石、器と書と絵の11人
日 時/2009年10月31日(土)~11月8日(日)
開催時間/10:00~19:00
会 場/山賀煉瓦倉庫中蔵
入場料/無料
協 力/永井酒造
陶/籠橋宗範、鉄/鈴木浩、ジャンクアート/主代淳典、
木/小美濃厚夫・鎌田純男・平井敦・吉澤良一
石/明田一久・外丸治、絵/高橋芳、書/矢部澄翔
●オープニング 10/31(土) 19:00~
●交流会 11/7(土) 19:00~
作家11人が「酒」をテーマに製作した様々な作品を展示販売いたします。
酒蔵のご協力によりご提供頂いたお酒を、
各作家の手作りぐい呑みで味わい語り合いましょう。
問い合わせ・・・
鎌田/090-4700-8734
吉澤/090-3436-8607
以前の宗月窯はこちらから。
○ 赤城山麓の宗月窯
山賀煉瓦倉庫中蔵
@群馬県前橋市総社町総社1143-1

南会津の下郷町にある「塔のへつり」に
やって参りました。
「へつり」ってなんだろなー、と聞いてみれば、
「へつり」 とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のことであり。。。
と( Wikipedia )は語ってくれました!
というわけで、さっそく参りましょう。

おおーっ!と。
いきなり素晴らしい渓谷美です!
すごいなー。

ここには10個もの、塔の形をした奇岩がたっているそうですが、
それぞれに「鷲塔岩」、「鷹塔岩」、「獅子」、「屋形」、「櫓」。。。と、
名称がついているようです。

このつり橋を渡って、へつり側に来ました★
高い所がヒジョーに苦手なもので、
慎重に慎重に。。。(汗
それでも橋はゆれるのです(汗、汗
ようやくの思いで難関を突破しました~。
手に汗にぎる、とはまさにこのこと。
ふいぃ~。。。

=== 案内板より ===
昭和18年8月24日に国の天然記念物に指定され、
100万年もの長い年月をかけて、侵食と風化を繰り返し
見事な景観をつくりだした「塔のへつり」は、
奇岩怪石が塔のようにそそりたち
大川ラインの中でも最大の渓谷美である。
太田市にある「飯玉神社」です。
境内に建てられている案内碑には創立不詳とあり、
くわしい御由緒はわかりません。
飯玉というと、水の良い場所の意味などもあるらしいのですが、
それと関係のある神社さんなのかな?
=== 案内碑より ===
嘉永2年9月13日依懇願塚越徹夫氏所蔵ス
明治41年7月1日許可ヲ得テ本社境内末社
稲荷社八坂社及躰宮無格社稲荷神社仝境内末社
飯玉神社宗像神社八坂神社ヲ合併シタリ
大正11年11月17日明治三十九年勅令第九十六号ニ依リ
神餞幣帛料供進神社トシテ指定セラル
昭和21年5月2日村社ノ称号ヲ廃止
仝年5月30日宗教法人令ニ依リ宗教法人トナル

神社正面の「鳥居」。

表に立つ鳥居をはじめに、2、3、4~、と、全部で4つ。
拝殿まで一直線に並んでいます。

こちらが「拝殿」。
コンパクトにまとめられた印象の社殿。

拝殿うしろの「本殿」。
覆屋にすっぽりと収められ、
ちょっと拝見することができません。
境内に建てられている案内碑には創立不詳とあり、
くわしい御由緒はわかりません。
飯玉というと、水の良い場所の意味などもあるらしいのですが、
それと関係のある神社さんなのかな?
=== 案内碑より ===
嘉永2年9月13日依懇願塚越徹夫氏所蔵ス
明治41年7月1日許可ヲ得テ本社境内末社
稲荷社八坂社及躰宮無格社稲荷神社仝境内末社
飯玉神社宗像神社八坂神社ヲ合併シタリ
大正11年11月17日明治三十九年勅令第九十六号ニ依リ
神餞幣帛料供進神社トシテ指定セラル
昭和21年5月2日村社ノ称号ヲ廃止
仝年5月30日宗教法人令ニ依リ宗教法人トナル

神社正面の「鳥居」。

表に立つ鳥居をはじめに、2、3、4~、と、全部で4つ。
拝殿まで一直線に並んでいます。

こちらが「拝殿」。
コンパクトにまとめられた印象の社殿。

拝殿うしろの「本殿」。
覆屋にすっぽりと収められ、
ちょっと拝見することができません。
=== 案内板より ===
天慶3年の創建にして、天正5年4月
本殿 拝殿とも消失につき、同18年社殿再建の上藤岡鎮守を崇む。
その后、元禄7年本殿立替
正徳2年吉田家より正一位の神位の許可あり、
文正中紫岡神社と改め、明治8年藤岡神社と改称す。
昭和55年12月伊勢皇大神より承認を得て奉祭す。
昭和56年1月富士山本宮浅間神社 秋葉山本宮秋葉神社 伏見稲荷大社
諏訪大社 出雲大社 日光東照宮 各総本社の承認を得て常宝殿に奉祭す。
云々。。。

下都賀郡藤岡町にあります、「藤岡神社」にやって参りました。
Y字形の分岐路、右手に立つ一つ目の「鳥居」。
ここから一直線、数百メートル行ったところにあります。

神社正面。
大きなケヤキがドォ~ンと立っております。

栃木の名木百選にも選ばれているこのケヤキ。

なかなかな大迫力★
象の足のようだ。。。
境内には他にもたくさんの大きなケヤキがありましたョ。

そして、この大きなケヤキの前にいらっしゃった「狛犬」クン。
体は小さいものの、迫力のある表情をしておりまする。
藤岡神社には5対、
合計10頭の狛犬クンがいるのです。

鳥居をくぐり。。。

2つ目の狛犬クン。
「ふんがーっ」と、歯をむき出して、
ユニークな表情。
天慶3年の創建にして、天正5年4月
本殿 拝殿とも消失につき、同18年社殿再建の上藤岡鎮守を崇む。
その后、元禄7年本殿立替
正徳2年吉田家より正一位の神位の許可あり、
文正中紫岡神社と改め、明治8年藤岡神社と改称す。
昭和55年12月伊勢皇大神より承認を得て奉祭す。
昭和56年1月富士山本宮浅間神社 秋葉山本宮秋葉神社 伏見稲荷大社
諏訪大社 出雲大社 日光東照宮 各総本社の承認を得て常宝殿に奉祭す。
云々。。。

下都賀郡藤岡町にあります、「藤岡神社」にやって参りました。
Y字形の分岐路、右手に立つ一つ目の「鳥居」。
ここから一直線、数百メートル行ったところにあります。

神社正面。
大きなケヤキがドォ~ンと立っております。

栃木の名木百選にも選ばれているこのケヤキ。

なかなかな大迫力★
象の足のようだ。。。
境内には他にもたくさんの大きなケヤキがありましたョ。

そして、この大きなケヤキの前にいらっしゃった「狛犬」クン。
体は小さいものの、迫力のある表情をしておりまする。
藤岡神社には5対、
合計10頭の狛犬クンがいるのです。

鳥居をくぐり。。。

2つ目の狛犬クン。
「ふんがーっ」と、歯をむき出して、
ユニークな表情。

足利市にある「居酒屋 玄檎」さんにお邪魔してます。
手作りにこだわる、おいしいオツマミを用意してくれる
大衆居酒屋さんです♪
冷え込んできた今夜でも生ビール中ジョッキ★
先ずはの、お通しは「モツ煮」です。

やわらかく煮込まれたモツ。
ドロリ系ではなく、どちらかと言えばあっさり目の汁にも
しっかりと味がしみ込んでいます。
美味しいモツ煮です!

「カツオのたたき」。
おおーっ、野菜がテンコ盛りの海鮮風です。
レタス、ネギ、ミョウガ、ニンニクの芽、etc。。。

ポン酢ベースのドレッシングに野菜の風味。
カツオと一緒にパクッ、といっちゃってください!
新鮮なカツオと、鼻から抜けるミョウガとニンニクの
なんとも言えない美味しい香り~。
食欲、盛り上がります!
そして私は福井の地酒、
「黒龍・ひやおろし」をいただき。。。
ウマイ♪

カウンターに大きなお鍋が登場する頃。。。
神楽太鼓奏者「石坂亥士」さんが参加したイベント、
「三内丸山縄文大祭」。
このイベントのチラシに、「踊れ、アラハバキ!」、
というキャッチコピーがついていました。
「アラハバキ」ってなんぞや?
というわけで調べてみると。。。

アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)信仰は、
東北地方一帯に見られる民俗信仰。
その起源は不明な点が多く、「まつろわぬ民」であった日本東部の民、
蝦夷(えみし、えびす、えぞ)がヤマト王権・朝廷により
東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承とする説が唱えられている。
歴史的経緯や信憑性については諸説ある。
縄文神の一種という説もある。
また、古史古伝・偽史的な主張と結びつけられることも多い。

アラハバキを祀る神社は東北地方に多く見られるが、
関東以南でもみることができる。
ただしそれは主祭神としてではなく、
門客神(もんきゃくじん)として祀られているケースが多い。

門客神とは、神社の門に置かれた「客人神(まろうどがみ)」のことで、
「客人神」は地主神がその土地を奪われて、
後からやって来た日本神話に登場する神々と
立場を逆転させられて、客神となったと考えられている。
アラハバキが「客人神」として祀られているケースは、
例えば埼玉県大宮にある「氷川神社」で見られる。
この摂社は「門客人神社」と呼ばれるが、
元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたとのことである。
云々。。。
( Wikipediaより )
「三内丸山縄文大祭」。
このイベントのチラシに、「踊れ、アラハバキ!」、
というキャッチコピーがついていました。
「アラハバキ」ってなんぞや?
というわけで調べてみると。。。

アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)信仰は、
東北地方一帯に見られる民俗信仰。
その起源は不明な点が多く、「まつろわぬ民」であった日本東部の民、
蝦夷(えみし、えびす、えぞ)がヤマト王権・朝廷により
東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承とする説が唱えられている。
歴史的経緯や信憑性については諸説ある。
縄文神の一種という説もある。
また、古史古伝・偽史的な主張と結びつけられることも多い。

アラハバキを祀る神社は東北地方に多く見られるが、
関東以南でもみることができる。
ただしそれは主祭神としてではなく、
門客神(もんきゃくじん)として祀られているケースが多い。

門客神とは、神社の門に置かれた「客人神(まろうどがみ)」のことで、
「客人神」は地主神がその土地を奪われて、
後からやって来た日本神話に登場する神々と
立場を逆転させられて、客神となったと考えられている。
アラハバキが「客人神」として祀られているケースは、
例えば埼玉県大宮にある「氷川神社」で見られる。
この摂社は「門客人神社」と呼ばれるが、
元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたとのことである。
云々。。。
( Wikipediaより )
駅前のタクシーの運転手さんに聞いてやって参りました。
新白河駅近くにある、「旬 魚の目」さんです。
魚の目と書いて「とっとの目」と読みます~。
かいぐり かいぐり とっとのめ~♪ってありましたよね?

ということで、
先ずは生ビールをやっつけてから、
鹿児島の芋焼酎「おかがいも」をボトルで。
他にも有名なブランドの焼酎がたくさんありました★
お通しの「アオヤギ」。
酢味噌和えです。

「白身魚お造り」。
今夜の白身はキンメだそうです。
上品な脂がのっていて美味しいですョ♪
好きです、キンメ!

そして。
飲んベエ殺しの「鰹酒盗」!
ブロック状にカットされた鰹の身に、
ワタを使った塩辛が和えてあります。
ほんと、これは酒がすすんでしまいます。
新白河駅近くにある、「旬 魚の目」さんです。
魚の目と書いて「とっとの目」と読みます~。
かいぐり かいぐり とっとのめ~♪ってありましたよね?

ということで、
先ずは生ビールをやっつけてから、
鹿児島の芋焼酎「おかがいも」をボトルで。
他にも有名なブランドの焼酎がたくさんありました★
お通しの「アオヤギ」。
酢味噌和えです。

「白身魚お造り」。
今夜の白身はキンメだそうです。
上品な脂がのっていて美味しいですョ♪
好きです、キンメ!

そして。
飲んベエ殺しの「鰹酒盗」!
ブロック状にカットされた鰹の身に、
ワタを使った塩辛が和えてあります。
ほんと、これは酒がすすんでしまいます。

今月14日より、第63回二紀展が開催中です。
場所は国立新美術館。
秋には、六本木で会いましょう!
二紀展に行こうよ♪
第63回 絵画&彫刻 二紀展
日 時/2009年10月14日(水)~26日(月)、10月20日(火)休館
開館時間/10:00AM~6:00PM (最終日2:30PM)
開館時間/入館は閉館30分前まで。
会 場/国立新美術館
入場料/大人700円、学生無料(小中高大学生)
詳しくはこちらのページへ。
○ 国立新美術館

やって参りました、穴場なお店。
久しぶりです。
岩舟町にある中華料理店「天山」さん。
お昼時とあって、駐車場はいっぱい。
楊枝をくわえたおじさんが
「中、つめれば座れるよー」と声をかけながら出てくる。
いざ!空腹も最高潮で暖簾をくぐる。

さーさー。
何を食べようか!?
とりあえずはビール(笑
そして「白油鶏・パイユーチュー」。
バンバンジーのネギだれバージョン?とでも言いましょうか。
肉厚なるジューシーな鶏肉に、ネギだれ。
サッパリの間に、きちんと「旨み」が存在する!!

お次は「今日作ったばっかり」の水餃子。
普段は酢醤油ですが、ここは激辛ダレが付いてきました!!

赤き刺客、水餃子と共に(笑
お汁を赤く染めながらハフハフと食す。

ビールもなくなり、紹興酒を入れ、店主お薦めの
「味噌ラーメン」!!

相互リンクさせていただいている「クラッシック ミニ レストア」の
pochiさんがオフィスに遊びに来てくれました♪
11月に開催される「クラシックカーフェスティバル in 桐生」のチラシを片手に!
おーっ、いよいよ開催ですネ♪
外車、国産車の名車、旧車が一同に集う祭典!
車好きな方には、大好物なイベントです★
今から楽しみ~。
さぁ、皆で行ってみよーっ!
「クラシックカーフェスティバル in 桐生」
日 時 / 2009年11月1日(日)
日 時 / 9:30~15:00 (雨天決行)
会 場 / 群馬大学工学部 桐生キャンパス
主 催 / クラシックカーフェスティバル in 桐生 実行委員会
共 催 / 群馬大学工学部、桐生市、桐生商工会議所、群馬大学工学会
共 催 / 桐生自動車博物館、桐生タイムス社、ジャックヒストリックカークラブ(JHCC)
以前の記事はこちらから。
○ 第2回 「クラシックカーフェスティバルin桐生」 ★桐生市
○ クラシックカーフェスティバル 桐生市
pochiさんのブログはこちらから。
○ クラッシック ミニ レストア
群馬大学工学部 桐生キャンパス
@群馬県桐生市天神町
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
「沖縄にはつい最近まで黄色という色名はなかったんだよ」と、
フォークロアに詳しい友人が切りだした。

「色の呼称には赤と白と黒と青の四色しかなかったんだ。
赤は明るい、つまり明だよね、黒は暗くなる。白は夜が白んで顕(ケン)だよね。
それに対して青は漠然としている色なんだ。
古代日本では赤(明)・黒(暗)・白(顕)・青(漠)という四色しかなく、
それで十分だった。
それが沖縄では近代まで続いたと言う事なんだ」

僕たちは「青の洞窟」で日本酒を飲んでいる。
だからこんな話になったんだと思う。

「今でも沖縄ではね、みんなではないけれども、
漠然とした色の領域を青という言葉で表現しているんだ」
「我々と世界観が違うのかな?」と、僕は訊ねてみた。
「いや、豊かなんだよ。
ところで沖縄にもね「青の洞窟」って存在するんだぜ」

フォークロアに詳しい友人が切りだした。

「色の呼称には赤と白と黒と青の四色しかなかったんだ。
赤は明るい、つまり明だよね、黒は暗くなる。白は夜が白んで顕(ケン)だよね。
それに対して青は漠然としている色なんだ。
古代日本では赤(明)・黒(暗)・白(顕)・青(漠)という四色しかなく、
それで十分だった。
それが沖縄では近代まで続いたと言う事なんだ」

僕たちは「青の洞窟」で日本酒を飲んでいる。
だからこんな話になったんだと思う。

「今でも沖縄ではね、みんなではないけれども、
漠然とした色の領域を青という言葉で表現しているんだ」
「我々と世界観が違うのかな?」と、僕は訊ねてみた。
「いや、豊かなんだよ。
ところで沖縄にもね「青の洞窟」って存在するんだぜ」
