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宮崎、田野町の田野天建神社。
古代、朝鮮半島で滅ぼされた百済王の一族が逃れてきたといわれています。
「百済王伝説」が残る宮崎市「田野天建(あまだて)神社」。

漂流した百済王がたどり着いた、日向国油の津(日南市)。
「ここは、どこか」。
四方を眺めていると、北の方のはるかかなたの山の上に、五色の雲の一群が立ち昇っている。
「あれが、私が住むところだ」。百済の王は、小姓1人を供として、雲を目印に山中深く分け入った。

険しい山が続き、小姓が疲れ果てた様子なので哀れに思い、どこか休む所はないかと辺りを見回すと、清水がわき出ている。この清水を、むすびの上に振り掛けて口に含むと、甘露の味がし、たちまち小姓も元気になった。
この坂を「小姓坂」と呼び、清水は今もわき出ている。

それから北川内(北郷町)に行き、ここで一夜を過ごした。
この村を「宿野(しゅくの)」と呼ぶようになる。

宿野からさらに深山を分け上り、5色の雲の下に到着した。そこには岩屋があり、ここでしばらく休息した。
ここで、山に分け入って道に迷った田野村の男8人に出会った。
男たちは百済王を見つけ、これは不思議な人に出会ったと思いながら、王のご機嫌をうかがう。
しかし、言葉は通ぜず、王は不快な表情で黙念としている。
男たちは、手にしたカズラを振りながら、手足もおぼつかない身ぶりで「しゃくり舞」をしばらく舞っていると、王の機嫌も良くなった。男たちは供を申し出て、田野村に至り、王のために宮居を建てた。田野大宮に伝わる「しゃくり舞」は、このときの舞である。

王が百済で飼っていた鶴が王の後を追って飛んできた。
王の宮居を守護するように離れない。その場をを去ることもなく、年を経て頭が赤く丹頂の鶴となり、人々も心打たれた。

百済王は月毛の馬が好きで、馬で四方を巡ったが、ある時、馬もろともに「井の本(井戸)」に落ちて亡くなってしまった。
このことから田野では、月毛の馬を飼わず、井戸を掘ることをしなくなったという。
亡くなった王を田野大明神として社殿を設けて祭り、供をした8人がそれぞれの姓を名乗り、祭礼のときに勤めをするようになった。
「山浦八人の弁察」とはこのことである。
この神は伊東氏の崇敬が厚かった。