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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2019/01123456789101112131415161718192021222324252627282019/03

馬見岡凝灰岩露出地。[みどり市]

みどり市笠懸町にある天神山。
その一画に露出している凝灰岩。
馬見岡凝灰岩露出地」であります。


馬見岡凝灰岩露出地。[みどり市]

=== 案内板より ===
馬見岡凝灰岩露出地
馬見岡(まみのおか)凝灰岩は、
新生代第3紀中新世の火山活動によって堆積した火山噴出物です。
地層の中からは、貝類・サメの歯などの化石や、
ピソライト(豆石)が発見されていることから、
当時この地域は、時には陸化するほどの浅い海であったと考えられています。


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愛宕塚古墳。[下都賀郡壬生町]

下都賀郡壬生町にいます。
愛宕塚古墳」にやって参りました。
本年度、1発目の古墳散策であります。

正面に大きな「ご神木」。


愛宕塚古墳。[下都賀郡壬生町]

墳丘に神社さんの建つ、
古墳+神社の合体型です。


愛宕塚古墳。[下都賀郡壬生町]

=== 案内板より ===
国指定史跡 愛宕塚古墳
愛宕塚古墳は、黒川東岸の台地上につくられた前方後円墳です。
墳丘は二段につくられ、栃木県中央部の大型古墳に見られる
墳丘第一段平坦面(基壇)を幅広くつくる特徴が愛宕塚古墳にも見られます。


愛宕塚古墳。[下都賀郡壬生町]

墳丘は全長が65m、堀(周湟)の底から高さは後円部で5.5m・前方部で6.5mあり、
後円部にくらべ前方部が大きさ・高さとも著しく発達した
典型的な後期型の墳形をしています。
墳丘の周囲には盾形に堀と土塁(周堤帯)が残りの良い状態で廼っています。


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二荒山神社。[宇都宮市]

宇都宮市ですっ。
二荒山神社」にやって参りました。

延喜式内社、下野国の一之宮ですから、
当然必チェック、来て見たかった神社さんです。


二荒山神社。[宇都宮市]

「鳥居」から参道の石段、
途中、両サイドに境内社。

「菅原神社」、「十二社」、「剣宮」、


二荒山神社。[宇都宮市]

「荒神社」、「松尾神社」、「水神社」。


二荒山神社。[宇都宮市]

石段を上り切ったところに「神門」。


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冠稲荷神社。[太田市]

太田市にある「冠稲荷神社」です。
前回からのつづきであります。。。


===
冠稲荷神社 摂社
琴平社
御祭神  大物主神
御神徳  五穀豊穣・天下泰平・金運
御鎮座  江戸中期
大物主神は、大国主神の和魂(にぎみたま)にあたる神様である。
国造りの神様として象頭山(琴平山)の金毘羅宮に祀られている。
この金毘羅宮より分霊された神社は全国683社にものぼり、冠稲荷神社には、
拝殿前南参道、二之鳥居付近に明治時代まで鎮座していたが、
その後本殿へ合祀、平成17年(2005)の紀宮殿下御成婚を祝し、
平成18年春、本社より御分霊、再建に至った。
云々。。。


冠稲荷神社。[太田市]

===
冠稲荷神社 摂社
いなり白狐社
御祭神  命婦専女神
新 築  平成7年9月
氏神からの返戻白狐を祀る。
我が国の神社では、伊勢神宮の鶏、春日大社の鹿、日吉大社の猿、
八幡宮の鳩のように、それぞれ固有の動物が神の使いとして尊ばれている。
しかし、お稲荷さんの狐は単なる神使ではなく、眷属そして神様の一族のような
資格を与えられている為、狐こそが稲荷神という考えを持つ人々も多いようである。


冠稲荷神社。[太田市]

お稲荷さんと狐がこのような親密な関係を持つに至った由来としては、諸説あるが、
稲荷の神が「食物の神」つまり「みけつかみ」であり、御狐(おけつね)
三狐(みけつ)に転じたという説、あるいは、稲荷神がのちに密教の荼枳尼天と
本迹関係を結んだことを重視し、荼枳尼天のまたかる狐がそのまま稲荷神の
眷属とされたのだという説がある。
云々。。。


冠稲荷神社。[太田市]

===
菅原社
御祭神  菅原道真公
御神徳  必勝合格・学問技芸上達
御鎮座  江戸中期
菅原道真公(845~903)は、代々学者の家柄に生まれ、長じて学者、文人、
政治家として卓越した能力を発揮した人物だった。ところがその異例の出世が
時の権力者・藤原氏の反発をかい、失脚、北九州の太宰府へ左遷された。
その時詠んだ「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」
という一首は有名な「飛び梅」伝説として後世に伝えられている。
天神様の縁日は毎月25日。

冠稲荷神社摂社として境内辰巳(南東)に位置し鎮座していたが、その後明治時代に
本殿へ合祀、平成17年(2005)の紀宮殿下御成婚を祝し、
平成18年春、本社より御分霊、再建に至った。
云々。。。


[冠稲荷神社。January.2019 その2 [太田市]]の続きを読む
冠稲荷神社。[太田市]

太田市にある「冠稲荷神社」です。
前回来た時はザっと見だったのですが、
今回はゆっくり散策することが出来ました。

先ずは正面の鳥居から。
「甲(きのえ)大鳥居」であります。


=== 案内板より ===
甲大鳥居
規模、量感ともに県下有数である。
様式は稲荷鳥居といい、明神鳥居の発達したもの。明神とは、特に霊験著しく
由緒正しいとの意である。鳥居は華表といい神の斎(居付き)給う清浄な神域の
結界(境)を示す第一の標である。
甲とは、東の僅か北寄りを示しまた「最初のもの」の意でもあり、
日の昇る東の神の座への門である。
円塗りの朱は神明の徳を表わし魔除けの効験を顕す。鳥居の空高く聳えるは
神霊の天降りを請い祀るものでありときに緑に映え、
ときに夕景に浮び上がるさまは神々しくも、また幻想的である。

当神社の鳥居は境内の四方位に在りこれを四方鳥居という。
それぞれを潜ると魔除けの効験一層あらたかなりという。
云々。。。


冠稲荷神社。[太田市]

大鳥居の向かって左手に「猿田毘古社」。


冠稲荷神社。[太田市]

こちらは「聖天宮」です。


===
冠稲荷神社 摂社
聖天宮日高社
御祭神  伊邪那岐神 伊邪那美神 神倭磐余毘古神(神武天皇)
御祭神  火雷神 水分神
御神徳  夫婦和合 親子和合 災難神 ストーカー除け
御社殿  安政4年(1857)再建

建築様式は荘重な八ッ棟造りで、周囲に極彩色の丸彫彫刻を配した、
日光東照宮を思わせる華麗な神殿である。造営は、江戸後期から明治中期
にかけて天下の名工と称された弥勒寺音次郎、音八、父子による。
さかのぼれば、日光東照宮に名を残す名工左甚五郎の流れをつぐ
名門花輪彫工に列する名工である。
音次郎は、佐波郡下渕名に生まれ、のちに小林家に入婿して小林音次郎
となったが、その秀れた技量により京都吉田家から河内守藤原照房の
名を与えられた。音八は名を幸孝といい、江戸時代、石原常八、
「波の伊八」こと武士(たけし)伊八郎とともに「名工三八」と呼ばれた。


冠稲荷神社。[太田市]

明治になって、音八は皇居賢所造営の棟梁に選ばれ、最高の名誉といえる
表玄関車寄せ正面の「菊花紋」を彫刻し、天下第一の名工と讃えられた。
絵師としても一流で、向松軒梅雪と号し、優れた南画を残している。
当神社棟札には、棟梁弥勒寺河内藤原照房、彫工弥勒寺音八、諸貫万五郎とあり
音次郎、音八父子の名が残された唯一の記録である。
加えて諸貫万五郎が列なる、名実ともに圧巻の造営記録である。
この上棟は、音八がまさに心・技・体ともに円熟した36歳のときである。

その4年後には、笠間稲荷神社の全ての彫刻を一任され、先にあげた
諸貫万五郎とともにこれを完成している。この神社は、後にその優れた彫刻により
国の重要文化財に指定された。
内部格天井には、繊細で優麗な12面の花鳥画が描かれ、その中央にあって
盤踞する竜は、思わず息を呑む迫真力であり、正面欄間に這う三竜もまた
凄絶見事である。
音八彫刻の「八方睨みの竜」(国指定重要文化財・笠間稲荷)と双璧をなすものと、
諸家の同音に評するところである。
云々。。。


冠稲荷神社。[太田市]

日高社の裏にあった「悪縁断大鈴 古墳磐座」。
悪縁を断ってくれる大きな鈴。


冠稲荷神社。[太田市]

「拝殿」です。

拝殿手前にある小さな建物は
「義経公ゆかりのご神水」。


冠稲荷神社。[太田市]

所狭しとたくさんの彫刻が施されている「本殿」。
パッと見ただけでも凄い迫力です★


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