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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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戦場ヶ原開拓之碑。[日光市]

こんな所にありました。
戦場ヶ原開拓之碑」。


戦場ヶ原開拓之碑。[日光市]

戦後、この地に入植した人たちの、
開拓の歴史が刻まれた石碑です。


戦場ヶ原開拓之碑。[日光市]

隣に建つのは「天皇皇后両陛下行幸啓記念碑」です。



以前の記事はこちらから。
中禅寺。August. 2018 [日光市]

【戦場ヶ原開拓之碑】
@栃木県日光市中宮祠

中禅寺。[日光市]

やって参りました日光ですっ。

こちら「中禅寺」。
日光開山の勝道上人さんによって建立されたお寺さんです。


中禅寺。[日光市] 中禅寺。[日光市]

中禅寺。[日光市] 中禅寺。[日光市]
(写真はクリックで大きくなります。)

正面の仁王門には、阿吽の仁王様、
裏面に風神様と雷神様がいらしゃいます。


中禅寺。[日光市]

境内に入ると、先ず右手にあるのが「諸願成就の梵鐘」です。


=== 案内板より ===
諸願成就の梵鐘
この鐘は「諸願成就の梵鐘」と申します。
一つ撞いては父母祖先有縁無縁供養のため、
二つ撞いては延命福寿のため、三つ以上は願の数々とむかしから
いい伝えられた有名な鐘であります。


中禅寺。[日光市]

すでに参拝された皆様の御先代又は知巳の方々もきっと御自身で
撞かれ、青く澄みわたった湖上を流れ行き、山峡に余韻を引いたこの鐘に
数々の願いを籠められたにちがいありません。
本日この梵鐘の音を耳に刻まれてお帰りになることも、
中禅寺参拝の思い出のよすがにもなることでしょう。
云々。。。


中禅寺。[日光市] 中禅寺。[日光市] 中禅寺。[日光市]

同じく境内の、
「桂」の樹と、「延命水」と「身代わりの瘤」。


しっかし今日も暑いですっ(汗、、、
下界よりはいくらか涼しいのかも知れませんが、
あまり変わらないような気も(汗、、、


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栗生八幡宮。[沼田市]

沼田市です。
以前よりチェックしていた神社さんにやって参りました☆
栗生八幡宮」。

新田さんつながりであります♪


栗生八幡宮。[沼田市]

=== 案内板より ===
栗生八幡宮
栗生(くりゅう)の名は新田義貞十六騎中の一人、
栗生左衛門尉顕友の姓からといわれる。
顕友は義貞の子新田義宗の没後、大原に移り、
顕友の守り神である八幡宮を奉じてこの地に住んだ。


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前橋城車橋門跡。[前橋市]

「前橋城跡」の土塁を拝見してからの続きであります。
少し離れた所にあるこちら、「前橋城車橋門跡」です。

パッと見、門の跡にしては左右の石積の幅が少ないのですが、
区画整理のため狭められたそうです。


前橋城車橋門跡。[前橋市]

=== 案内板より ===
前橋城車橋門跡
関東の4名城にも数えられていた前橋城の遺構は大変少なく、
現在では、県庁周辺の本丸土塁とこの門跡くらいしかありません。
この門は、城の外曲輪から城内に至る重要な門で、
対の石積みの台石は1辺7.7m×4.25m、高さ1.4mあります。


前橋城車橋門跡。[前橋市]

前橋藩4代藩主酒井忠清(後に大老)の代(1637~1681)に、
2本の柱の上に横木を1本置いた冠木門から、
櫓の二階を通って門の左右に渡れる渡櫓門に改築され、
その後、酒井氏の後を継いだ藩主松平氏が川越へ移城した後も
この門は存続していました。
現在の門は、昭和39年区画整理事業により、
間隔がせばめられ西側の台石が東へ8m移動されました。
云々。。。


当時の台石を拝見できただけで感動ー★

そしてもう1つ。
台石の上に建っている石柱についての案内もありました♪


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前橋城跡。[前橋市]

おはようございます。
私は今、前橋市に来ています (=゚ω゚)ノ

前橋公園から見た県庁。
朝からめっちゃ暑いですっ。
今日のお目当てはこちら~。


前橋城跡。[前橋市]

前橋城跡」~♪、であります。

目の前にあるのは「土塁」。
県警本部の北側にあります。

さっそく上ってみましょう。


前橋城跡。[前橋市]

土塁上には石碑が建っています。
「前橋城址之碑」です。
昔の文章なので、上手に読むことができませんっ(汗、、、
こういう時の案内板だのみ~(笑


=== 案内板より ===
前橋城址之碑
この石碑は旧前橋藩にゆかりのある人々などにより、明治41(1908)年3月に
建てられました。碑文には前橋城の由来と、碑の建設経過が記されています。
碑の標題は城主の子孫である松平直之氏が筆をとり、本文は東京帝国大学の
国史学の教授である重野安繹氏が執筆して、書家の日下部東作氏が書きました。


前橋城跡。[前橋市]

かたわらの副碑によれば、石碑建立には5名の建設委員があたり、
県内外の800名を越える人々の寄付があったことが知られます。
碑の建つこの地は、江戸時代末期の慶応3(1867)年に整備された「再築前橋城」の、
本丸を囲む土塁の北東部上にあたります。
云々。。。


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