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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2020/051234567891011121314151617181920212223242526272829302020/07

山王寺大桝塚古墳。[栃木市]

栃木市にある「山王寺大桝塚古墳」にやって参りました。

こちらの古墳は前方後方墳です。
鍵穴の形をした後円墳ではなくて、
四角いのが2つくっついた後方墳です。



山王寺大桝塚古墳。[栃木市]

=== 案内板より ===
三王寺大桝塚古墳
(1)規模 全長96m、後方部幅48m、前方部長さ48m
(2)主体部 粘土槨、土壙
古墳は、巴波川右岸の低地に築かれた比較的大規模な前方後方墳です。
前方部を西に向け、スマートな形をしています。



山王寺大桝塚古墳。[栃木市]

昭和50年の調査の結果、後方部のほぼ中央に古墳の主軸に沿って
粘土槨とその南側から土壙が発見されました。
粘土槨は粘土と小石混じりの砂によって造られ、
木棺を安置したと考えられています。
粘土槨からは、鏡1・太刀1・槍鉋2・鉄剣3・鉄斧2・銅鏃28・鉄鏃2・靫1・ガラス小玉が、
粘土槨北側からは土師器の坩1・鉄剣2・鎌1・鉄鏃1・刀子1が、
土壙からも、鉄製品と管玉などが出土しています。



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道鏡塚。[下野市*龍興寺]

下野市の「龍興寺」さん。
こちらには道鏡というお坊さんのお墓があります。
下野薬師寺別当を勤めた方です。



道鏡塚。[下野市*龍興寺]

道鏡塚」であります。

===
案内板より
道鏡禅師の墓所
奈良時代の高僧、道鏡禅師の墓所(道鏡塚)が当所です。
道鏡は若くして出家し、葛城山で厳しい修行をし、義淵(ぎえん)、
良弁から法相を学び、梵文と写経に通じ、如意輪法・宿曜法・
併せて、薬法や医術にも精通された高徳の僧です。



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薬師寺八幡宮。[下野市]

下野市です。

雷電神社に続いてやって参りました、
薬師寺八幡宮」です。



薬師寺八幡宮。[下野市]

昔、流鏑馬が行われていたという長い「参道」。
灯篭が並んでいます。



薬師寺八幡宮。[下野市]

「二の鳥居」。



薬師寺八幡宮。[下野市]

「ご神木」の欅。

手前にある小さなお社は「鷲宮神社」。
梟の置物が奉納されていました。


=== 案内板より ===
薬師寺八幡宮のケヤキ
樹高約20m・目通り周囲4.8m
推定樹齢600年
地元の人たちから八幡宮の御神木として親しまれ
大切に保護されてきたこのケヤキは、一説によると、
その昔源頼義(みなもとよりよし)が奥州平定の帰路当八幡宮に参宮し
自から植えた木伝えられてきたもので、
本町内に存在する数多いケヤキの中でもとりわけ大きく、
堂々とした姿はまさに名木といえよう。
云々。。。


===
梟(ふくろう)
其乃昔、このご神木に梟が住み着いていました。
森の見張り番とも、森の賢者とも称えられる梟は、
福郎とも福来郎とも吉字を当てられ
縁起の良い鳥として崇敬されています。
云々。。。



薬師寺八幡宮。[下野市]

「神楽殿」と「神輿庫」。



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雷電神社。[下野市]

下野市です。

下野薬師寺跡の塔跡から道路を挟んで向かいにあります、
雷電神社」です。



雷電神社。[下野市]

=== 案内板より ===
薬師寺八幡宮と雷電神社について
薬師寺八幡宮は、奈良時代前期に建てられた下野薬師寺の寺内社といわれ、
貞観17年(875)石清水八幡宮の祭神を東北守護の大神として
鎮座されたものといわれています。
また境内の八重桜は栃木の景勝百選にも選ばれています。
雷電神社の祭神別雷大神は、昔災害に苦しんでいた村人たちを、
天狗に姿をかえて助けたと伝えられ、この地に祭られています。
云々。。。


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下野薬師寺跡。[下野市]

下野市です。

下野薬師寺歴史館に続いてやって参りました、
下野薬師寺跡」ですっ。
ではでは早速参りましょう。



下野薬師寺跡。[下野市] 下野薬師寺跡。[下野市]
(写真はクリックで大きくなります。)


=== 案内板より ===
寺の外郭施設
1 寺院内と外部を区画する施設である。
2 下野薬師寺では施設の形式から4期の変遷があった。
3 1・2期の施設は板葺きの屋根に板壁の塀。
4 3期目の施設は瓦葺きの屋根に板壁の塀。
5 4期目の施設は1・2・3期の塀の外側に設けた大溝。
6 1期目の塀は7世紀末に造られたと考えられている。
7 3期目の塀は奈良時代前半に造られた。
8 整備では3期目の施設跡を部分的に表現している。
9 3期目の塀は土塁上に設けられ、その高さは約4mに復元される。
10 発掘調査で、堀の掘立柱は3m(10尺)の等間隔で建てられていることが
10 わかった。
11 その柱位置に高さ1mの丸柱(古代工法のヤリガンナ仕上)を立てた。
云々。。。



下野薬師寺跡。[下野市]
「下野薬師寺跡とその周辺が表示さた説明版」。

===
下野薬師寺の関連遺跡
下野薬師寺の造営や運営に関わった人々は、
寺の周辺に集落をつくり、暮らしていました。
寺の南 約1400mの大集落跡「薬師寺南遺跡」や
歴史館建設地の集落跡「落内遺跡」は寺の造営、改修の工人、
寺の下働きの人々の住む集落であったと考えられます。
これらの遺跡から、寺の造営や運営にともない、
たいへん多くの人々が、寺の周辺で暮らしていたことがうかがわれます。


下野薬師寺跡。[下野市] 下野薬師寺跡。[下野市] 下野薬師寺跡。[下野市]

薬師寺南遺跡航空写真(南から)
8世紀初頭~9世紀代の竪穴住居跡120軒などが見つかった。
下野薬師寺の創建以降、集落は次第に南へと広がっていった。

竪穴住居跡(西から)
「落内遺跡」
下野薬師寺の周囲に存在する集落で、
7世紀後半~10世紀代の竪穴住居跡100軒などが見つかった。

「角付土器」
上の写真の住居跡から見つかった土器。
写真の竪穴跡右側上部(丸囲み)に土器かぜ見える。
発見例の極めて少ない土器である。
云々。。。



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