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高良大社。[福岡県久留米市]

社号が記された大きな灯篭。
いよいよやって参りました、筑後国一の宮。
高良大社」でありますっ!


福岡県久留米市御井町1

信号右折するとここからが参道でしょうか。
「一の鳥居」である石造の大鳥居が出迎えてくれます。


=== 案内板より ===
大鳥居
鳥居の語源には諸説があり、はっきりしませんが、
一般には神社の門であると言われています。
この大鳥居は、高良大社の一の鳥居で、高さ6.81m、柱間4.5mで、
花崗岩製の典型的な大型の明神鳥居です。

現在の鳥居は、承応4年(1655)に久留米藩二代藩主有馬忠頼の寄進によって、
建立されたものです。
石材は竹野郡石垣村(現浮羽郡田主丸町)の花崗岩を切りだし、
藩内の15才から60才までの男子延べ10万人によって、耳納山地の山裾を
運ばれました。
額字は、徳川将軍家の菩提所である東京上野寛永寺の
門主の筆によるもので、安永2年(1773)七代藩主有馬頼徸の
寄進によるものです。
云々。。。


福岡県久留米市御井町1

少し進んで「二の鳥居」。
ここからの石段を進めば、徒歩で境内まで行くことが出来ます。
じっくりと攻めたい方はぜひ。
案内板もありました。


===
高良大社
筑後一の宮。延喜式内名神大社。旧国幣大社。
社地は高良山の西の山腹にあたり、「神籠石」の列石が周囲を囲んでいる。
祭神は高良玉垂命、八幡大神、住吉大神。履中天皇元年(400)の創建と伝わる。
延歴14年(795)に従五位下に叙されてから、事あるごとに神階を進め、
弘仁9年(818)名神に列し、寛平9年(897)には正一位を授けられた。

山下の石造り大鳥居は、承応4年(1655)二代藩主有馬忠頼公の寄進。
本殿・幣殿・拝殿は万治3年(1660)三代藩主有馬頼利公の寄進で、
社殿の絵本墨書平家物語(覚一本)と共に国の重要文化財。
高良大社文書十巻一冊、絹本著色高良大社縁起(画縁起)二幅は県指定文化財。
社有地のほとんどは「史跡高良山神籠石」として国の史跡指定を受けている。
云々。。。


おおーっ。〝神籠石〟ですかっ (=゚ω゚)ノ

以前の神籠石はこちらから↓
帯隈山神籠石。[佐賀県佐賀市]


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北野天満宮。[福岡県久留米市]

福岡県久留米市です。
大きな「一ノ鳥居」が建ちます。
菅原道真公をお祀りした「北野天満宮」の参道であります。


北野天満宮。[福岡県久留米市]

北野天満宮。[福岡県久留米市] 北野天満宮。[福岡県久留米市]
(写真はクリックで大きくなります。)

境内の入り口の「二ノ鳥居」と、「道標」。
古そうな道標ですが、江戸時代のものでしょうか?


北野天満宮。[福岡県久留米市] 北野天満宮。[福岡県久留米市]

池にかかる朱色の「神橋」。


北野天満宮。[福岡県久留米市]

「三ノ鳥居」です。

=== 案内板より ===
石造鳥居
この鳥居は、「肥前鳥居」と呼ばれ、慶長年間(1596~1614年)
につくられたものが多いため、「慶長鳥居」とも呼ばれます。
笠木の長さは5.35m、高さは4.01m、地面での両柱の間隔は2.5mを測り、
凝灰岩を削ってつくられています。
銘文から慶長12(1607)年の年号を読み取ることができたので、
江戸時代のはじめにつくられたことがわかります。
最初は下宮へ下る参道の途中に建っていましたが、
昭和のはじめ頃に現在の場所へ移されました。
云々。。。


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正縁塚と愛馬別れの松。[沼田市]

群馬県沼田市です。
ベイシアの先を左折するとすぐです。
塩原太助 愛馬別れの松」。

標柱には〝正縁塚・一本松〟と記されています。


正縁塚と愛馬別れの松。[沼田市]

もう一つ「塩原太助愛馬別れの松」の石碑が建ちます。


=== 案内板より ===
塩原太助 愛馬別れの松
昔を偲ぶ利根の花千代も散らまし経済の鏡と謳はれ香りつゝ
今に残りし名の誉れ塩原太助深愛の馬を繋ぎし一つ松
哀れを茲に残しけるせつなに絡む松の情附したる涙打佛ひ
老松高く仰ぎつゝ男児の固きこころざし初めて樹ちし
霊松の風清らかになびくなり老松より人傑出し事ぞある畏れ多くも
道眞は梅花と別れ惜み楠公も近江の藤樹其の他にも秀才出し例しなど
算ふるいとまなしかゝる霊松も齢ぞ来る過る慶応年間に風雨の為に倒れ
枯れ然れどもその後数十本小松生じしが何時となく只一本残りしは
一本松の名稱の盡せぬことこそ芽出度ける嗚呼尊しの山川老樹
嗚呼貴人のこころ
云々。。。


正縁塚と愛馬別れの松。[沼田市]

文章が難しくて良く分かりませんっ(汗、、、

簡単な屋根がついて保護されいましたが、
実際の松は枯れていて、根っこだけになっていました。


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厳島神社。[足利市百頭町]

百頭町「神明宮」へ向かう途中、
道を間違えて走っていたら「厳島神社」がありました。

建物がひとつだけの小さな神社さん。
弁財天、とあります。
せっかくなのでパチリ。


厳島神社。[足利市百頭町]

手前にあった石碑。
昭和31年、弁天宮に40坪の社地を奉納、と記されていました★



以前の厳島神社はこちらから。
名草厳島神社。[足利市]
厳島神社と戸ノ口堰洞窟  ★会津若松市

【厳島神社】
@栃木県足利市百頭町

神明宮。[足利市百頭町]

足利市にある「神明宮」です。


神明宮。[足利市百頭町]

市内にいくつかある中の
百頭町にある神明宮。

しかし百頭(ももがしら)とはユニークな町名です。
何かの本で、隣の県(あがた)町との関連を読んだことがありますが、
歴史が深そうです。

参道正面に「拝殿」。


神明宮。[足利市百頭町]

右手に「ご神木」があります。

=== 案内より ===
百頭神明宮神社御神木
一、学名、 梛(なぎ) マキ科常緑樹
和歌山県熊野三山の速玉大社の御神木で千年余の樹齢を誇る
椥の大樹の種から平成22年5月に発芽した幼木です。
平成28年4月10日神明宮維持管理委員会の承認を経て
百頭の平安を祈願し現在地に移植されました。

椥の葉には葉脈が縦方向にしかありません。横に裂く事が難しく
その事から弁慶のチカラシバと呼ばれ、又、男女の結びつきの強さの象徴として
花嫁が鏡の裏に忍ばせ嫁いだと言われています。

又、源頼朝と政子夫婦もお互に椥の葉を御守りしたそうです。
そして藤原定家も詠んでいます。
「千早ふる熊野の宮の椥の葉を変わらぬ千代の試しにぞ祈る」
鎮守の守り人より
云々。。。


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